この著者の語りはナラティヴ風で、読み物としてすこぶる面白い。
そうは言いながらも、やはり現実というのはナラティヴ以上ではないかとも思わせる。
この著者を読む、つまり精神病理について考えることで自身を相対化できると思うが、もし自身がこの著者によってどう描かれるか、ということを考えると顔が引き攣ってきそうでもある。
もっともこの場合にも、伝統的によく言われるようになっている正常と異常の境界にこだわるかぎり、自身を突き放して眺めることはとうてい無理だろうが。
ペルーの貧民社会からの体験・考察から始まったこの著者の系譜(M先生がかならず関わっていると思われるので、それだけによりいっそう身近に感じる)にわたしはすごく惹かれるものを感じる。
とはいっても、ニホンの社会、そこでの天変地異的な動きを透かし彫りしてみせるような手口は、単純にいって、いまのニホンを外部のひとが理解するのにおおいに役立つ。
いっぽうでこの作品は、ニホンの社会の皮相さを描き出す以上に、より古層の社会を扱っているようにみえる。
すると、はたしてよく理解できないところもでてくる。
さて、ここで一瞬、振り返り、ところで今までもこの著者の作品を正確に理解していたのだろうとかという不安におそわれる。
べつの言い方をすれば、精神病理と社会学の狭間でうごめいているというような。
よくわからないところがあるからこそ、残るインパクトもつよいといえる。
もっとも単純な言い方をすれば、こころの闇なるものを手に取るように理解できるひとなんて希のはずだ。
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