ニホンの歴史を貫いているのは、人の間のねちねちとした嫌らしさ、その一方での理解をこえた禍々しさ。このふたつが織り成す味気なさ。
これはあるいはニホンを越えて、より一般的な物言いとしてもいいのかもしれないが、すると締りがつかなくなる。
または、これはニホンへの自虐でもあるのだろうか。
そんなふたつの対極にて振り回され、踊らされるひとびと、そこからはいくらでも物語が紡ぎだせるはず。
この作品では、その対極なるものを綿密に、執拗に描き出し、息苦しくなる。
それでも、謎解きがしだいに進み、論理のもとにその全体が明るみにさらされる。
物語の場合にはよくいわれることであるが、不可解なまま、そして落ち着かない展開のときに心は躍る。
ところがすべての道理が明かされる方向へとむかうとき、わたしたちは落胆してしまう。
なるようにしかならない話。
あるいは、世間にはそれほど大義名分でもって動いているところは、かえって少ないのではないか。
だから、すかっと割り切れてしまえば、爽快であるはず。
でも、その爽快さに浸ることを好まない少数のひともいるのである。
さて、さて、ここまででどれだけのことを語ったのか、きわめて陰鬱にならざるをえないのであるが。。。また、いつもの通りか、という声が囁かれそう。。。
(いやあ、誤解されないようにするならば、大作であり、密度が濃く、手に汗を握る傑作であることはまちがいなし)
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