わたしたちが論理の生きものだと思っているひともいる。それでも、じつはわたしたちは本能の生きものでしかないとさとっているひともいて、無意識に支配された生きものだともいえる。しかしその無意識を好き好んで覗き込むようなひとは割りにすくない。おそらく、そこには、薄暗く、どろどろしたようなものがたまっているかもしれないからである。
世界とか宇宙といったものは無慈悲に生々流転することになっている。ときとして人はそこに喜怒哀楽をさしはさんだりもする。それはたいてい、わたしたちの意識のはたらきあでる。知性のはたらきといってもいいかもしれない。意識のはたらきのおかげで、わたしたちはここまで偉大な人類の歴史を築きあげることができた。
総体としての人類史にも独自の生命がある。しかし、ときとしてわたしたちは中断を余儀なくされることがある。つまり死である。わたしたちには、みっつの謎がある。欲したわけでもないのに、生まれ、死ぬ。たのんだりしたわけでもないのに、意識なるものを分け与えられる。
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