小学校のころは、天体にあこがれ、天文学者になりたいなどと夢をみた。
子どもながら、頭でっかち的に宇宙のことに詳しくなった。
小学校の図書館の宇宙関係の本を読み漁ったりして。
しかし、小学生の近所の寄り合いがあると、「海の底のことさえ、わからないことがいっぱいあるのに」と言った上級生がいた。
そんなものだろうか。
それから遥かに年月が経た。
いまなら、今でさえ地球の海の底にどんな生き物がいるのか、すべてわかっているわけではないし、どんな仕組みになっているのかも明瞭ではない。
もっと手近なところ、つまり、頭のなか、大脳生理学の進歩のおかげで、わたしたちが何を、どんなふうに考えるのかも、かなりわかってきたつもりでいるが、じつはわからないことのほうが増えていそうだ。
人間は、どんなことでも理解可能だ、なんて息巻いているが、マクロもミクロも、じつはたいしてわかってはいない。
わたしたちにわかることなんて、たかがしれている、なんて居直っちゃったほうが楽に生きられるような気がする。
四本足で歩いていたサルが、とつじょ、二本足になった、それはなぜか、でもじつのところは解答は不明だ、と居直ってしまう立花隆なんかのほうが、スマートそうだ(むやみやたらに泥臭く生きる、というのも、それはそれで、意味があるとは思うが)
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