科学はじつにおもしろいので、小学くらいまではわたしも科学少年であった。
やがて成長するにつれて科学がとっつきにくいものにみえてきた。
それでもごくたまに科学を興味深く語ってくれるひと(または本)に出くわすことがある。
そういうひとは、もしかすると科学の本流にいるわけではないのかもしれないが(この一文は、わたしの意固地なさから派生しているらしい)。
この長谷川眞理子さんは、本来は動物行動生態学というディシプリンにこもっているようなひとであらしいが、科学一般をすこし外から眺めるような機会を与えられたことから、すべてが出発し、語ること、綴ることにインスピレーションがみちている。
ミクロの次元と、マクロの次元とは、相対しているのだということに気がつくと、わたしたちがどこにいるのか、はたと正気に戻る。
つまりもっとも卑小な、原子よりもラディカルな小宇宙と、巨大な大宇宙とはもともとサイズのちがいでしかないということ。
そんな自然の作り出す美、それは数式やら法則、その具体的な線、あるいは自然、生き物が作り出す形がそれほどまで美しく見えるのはなぜだろうか。
それは、わたしたちの神経系に、大脳と視覚の働きに、生物と自然との交感性にあるのではないか、と著者は指し示す。
それですべてがわかってしまったような気持ちになるのがわたしたちである。
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