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2017年09月30日13:27

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高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)

 はるかな昔には、わたしもいわゆる論壇時評なるものを読んでいたものだが、いま手にしたのは高橋源一郎が、論壇をぶった切るものであった。

 担当は、あの2011年からで、ニホンの抱えていた矛盾がいちどきにあらわになった瞬間であった。

 未曾有の天災、しかしながら想定外ではなかったはず、にもかかわらず想定外であるとしらをきって、言い逃れしかしない人々も少なくなく、あとに残るのは切り捨てられた人々。

 もし天災がなければ、すべてがあやういながらも、それとなく運んでいってしまっていたはず、たとえばゲンパツをCMにて肯定、賛美する文化人だとか。

 あの未曾有の天災は、半世紀以上もまえの敗戦とも似通う強烈性に彩られていたはずだが、すべては時間のまえで風化してしまうのだろうか。

 しかし時間がたつにつれて著者も、天災のことだけを喋ってるわけにはいかない。
 ニホンの民主主義、または、知性とはなんであるか、など。

 たとえば、戦後民主主義といえば、張子の虎みたいなものだといわれてきたが、もうあれからどのくらいたっているのか。
 より正しくいえば、民主主義自体がますます否定される時代になりつつあるが、それにもかかわらず、今こそ民主主義が何であるかを考えるときであるかもしれない。

 多数決を旨としながらも、少数意見を尊重する、そして多くの場合、最終的には少数意見は切り捨てられる。
 しかしほんとうの民主主義では、その少数意見から感謝の声が出てもいいくらいの寛容さがないと、けっして民主主義の名まえにはあたいしない、と思うべきである。

 ほんとうの「知性」とは何か、それはドグマ的に硬直したものではなく、柔らかな感性に裏打ちされていて、つまりは「未知のものを受け入れることが可能である状態のこと」だという。広い意味での好奇心だろうか。それをわたしの言葉で言い換えるなら、周縁性とか辺境性とかいうものであるだろうか、具体的には、カリブ海島嶼とか。

 高橋源一郎、よく言葉と闘ってくれました(拍手)。
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