あまり読むのにあたいしない本のようで、わたしは悔いた。
しかし考えてみれば著者のイデオロギーは、英米のコモン・センスへのリアクションであり、英米のコモン・センスなりリアリティにおおいに関与し、挑発され、嘲笑された結果なのだといえる。
ニホンのアカデミズムにとどまっていただけでは、著者のイデオロギーはここまで生成されなかったであろう。
いまでは海外に出て教鞭をとるニホン人はあまりめずらしくないだろうが、この著者ほどアクティヴに同僚等とやりあう例はすくないのかもしれず、そこから著者の社会的自己認識なるものが生まれ出てきたものと思われる。
そして著者のイデオロギーはある傾向を伴ったニホンの政治にはおおいにもてはやされることになったのである。
(でも、まるっきりクズではない。昨今、ニホンの高等教育では、人文系の学問がひどく蔑まれている。自ら数学を選びながら、海外でのひとの遣り取りにおいては、最後にはひとの世界観なるものが問われるものであり、そういったものは人文学的素養のバックボーンなくしてはけっして身につけることができない。著者は現場にて痛いほどそれを実感している。)
(付け足しになるが、なぜ著者の世界認識が誤っているとわたしが批判できるかといえば、著者の歴史的認識の射程が限定的で、わたしのほうは、ヨーロッパの国民国家という擬制の発生を学んだことによってその虚と実の知識を得、さらに英米、欧米一辺倒ではなく、非欧米世界からの認識によって欧米的世界観を相対化することに成功していると見なしているためである。)
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