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2016年03月08日13:31

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藤沢周平『竹光始末』(新潮文庫)

 ニホン人であるなら、幼いころから時代劇を意識しないわけにはいかない。
 だが物心つくころから、時代劇とは打ち捨てていくべきもののように思われる。
 古い倫理感やら封建道徳に縛られた世界なんて縁がないと自分に誓ってみるのに、気がついてみると、右も左も時代物を読んでいるようで愕然としてしまうことがある。
 いったい、これは何なのだ。

 一応、歴史を学ぶことを志したがゆえに、妙な矜持のようなものもあり、いわゆる歴史文学なんぞ、嘘っぱちの出鱈目だと喚いてしまうようなところが自分にはある。

 とはいいながら、やはり自分のやり方で近代とか世界史などを考えていると、たとえば江戸時代と明治時代とは断絶ではなく、連続なのだということに目覚めてくる(同様に、戦前、戦中、戦後においても似通ったことがいえる)。

 ちょうど、万葉集を読んで、いまのわたしたちに通じるものが見出せるように、江戸の市井にわたしたちとあまりにも似通ったものが立ち現れてきて、少なからぬ驚きを感じてしまう。
 そうか、歴史文学とは、今のことを語る方便だったのか。
 今のことが、他の時代を通じて異化されて現れてきているのだ。
 ここまでくれば、「まてよ、歴史物にはまってしまってから、いったい、おいらはどうすればいいものだろうか」という戸惑いのまえで打ち震えてしまう。
 そうか、おれの負けなのか、と言いながら薄の茎を口からぺっと吐き出す。
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