いままで東京または江戸はどのくらいの災害を被ってきただろうか。
明治維新はわりと平和的であったが、上野の山とかでは戦いがあり、死傷者はその後もしばらく放置されていたとか。
それから、関東大震災のときの被害もすさまじかった。
しかしやはり1945年3月10日(と他の日付)の東京大空襲はすさまじかったのではないだろうか。
わたしたちは、ちょっと教養があればそんなことは知っているはずだ。
しかし8月のニホン訪問の際に、たまたますみだ郷土文化資料館なるところに迷い込んだ。
ああ、なんという凄さだろうか。
東京大空襲の写真というのはわりと広まっている。
だがその資料館にあったのは、空襲体験者による、体験画であった。
体験画といっても絵の素養のあるひとたちではなく、公募によって寄せられた自発的なもの、しかしそのあまりにもの生々しさによって、わたしは声を失った。
(撮影禁止だったかな?)
そのあまりにもの生々しさのために、ネットで捜してもそのものずばりのものがない。
強烈過ぎるゆえであろうか。
さて、話は前後するがB29の無差別爆撃である。
焼夷弾である。
今回、わたしは隅田川のほとりを散策して、焼夷弾の油脂ゆえに隅田川等の水面まで油脂に覆われ、文字通り火の海と化し、まったく逃げ場がなかったという、そんな有様を想像してみようと試みた(できるわけないが)。
地獄の絵図であったのだろう。。。
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