さきに読んだドノソの作品「象が死ぬところ」(1996)はチリ在住の教官が米国に移る話で、この「失望」ではネルーダ夫人の死をきっかけに長年の亡命暮らしの末にチリに民衆派の歌手が戻ってくる話。
亡命のすえに故国へ戻ってくるということがいったい何を意味するのか、わたしたちニホン人には感覚としてわかりにくいものがある。
その長い時間において故国でなにが起きたか、とりわけ亡命時の前後には濃密すぎる時間が流れているはず。
亡命するということ自体が主観的、客観的にいろいろな意味を持ちうる。
それはまさしく苦渋の連続、読みながら鬱屈感、閉塞感に苛まれたものだから、はっきりいって読むのが苦痛でもあり、結果としてずいぶん時間がかかった。
そして言うまでもなく、ドノソ自身の経験がこの作品には重くのしかかっているものと思える。
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