昨日まで読んでいた本で、堀口大學と与謝野鉄幹・晶子夫婦とは大いなる友人関係にあったことを知った。
大學もはじめのころは邦語の和歌の創作に走っていたということである。
今日、読んでいた雑誌「ちくま」11月号には、仏文学者の鈴木道彦が父親の鈴木信太郎の伝記についてちょっと触れていた。
曰く、鈴木信太郎の婚姻のとき、花嫁の豪商はながいあいだ、与謝野夫婦をバックアップしていたので与謝野夫婦も列席、全集にも収録されていないような三十四首の和歌のアルバムを贈っているとのこと。
大學と、信太郎。おなじ仏文系ではあっても接触がなかったと思われる二人ではあっても、それは狭い世界、どこかで繋がっていた、という僭越ながらわたしの「発見」であった。
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