安岡章太郎は、定住ではなくて漂泊の物書きであると言おうと思って、だが待てよ、ほとんどすべての安岡の漂泊は自分の意志ではなかったのだということに気づいた。
この第三巻目は、戦後、ナッシュビルへの留学から始まり、その強烈な異文化体験は人に語るに値すると思うが、それまでの安岡の異文化体験が色褪せてしまうくらい幅広い考察をもたらす。
だがこれにしても、あるいはようやくにしてゆっくり考える時間が取れるようになったということだけを意味しているのだろうか。
以後、安岡は日々、あれこれ考えていくが、戦前、戦中の体験と比べると、どこか世相批評的なところが増えてインパクトが減る。
このインパクト云々についても、せいぜいが、生きるか死ぬか、を考えなくてもよくなったからだと言えないこともない。
しかしながら、最後になって、かつての「悪い仲間」の最期を聞き及ぶにいたり、長い時間がふっと逆戻りする。
いわゆる「第三の新人」にとっても、いかに戦争体験が深刻であったかを表している。
知ったつもりでいた安岡章太郎について、わたしは認識を改めざるをえなかった。
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