部分はときとして全体を現わす。
ニホンの戦前・戦中・戦後史を描こうとするとき、どんな人物を代表に選べばいいのか、これほど迷わされる問題はない。
しかしまた逆も真なりであり、だれの話を聴いてもイマジネーションが刺戟される(もっともイマジネーションの次元の問題ではないかもしれないが)。
わたしの母親の晩年も、記憶がひどく衰えているはずなのに、昔のことを訊ねるとわりとよく思い出してくれて、聞き書きの一歩手前にまで至った。
父親についてもおなじようなことをしておけばよかったのだが。
旧制高校にての獣医科、つまり当時はほとんど馬が相手だったはずだが、徴兵猶予のような状態であったようで、しかしそれでも逼迫した状況で、いつ身が果てるか無我夢中であったことだろう。
この本は、シベリア抑留のことを扱っているが、それがすべてではなく、いわば個人と歴史の全体性に触れている。
それについてまともにわたしがなにか綴ろうとするのは、ちょっと無理そうだ。
母の長兄が、戦後のシベリア収容所にて亡くなっている。これは何回か、綴ったことがあるはずだ。
高校の音楽の先生もシベリア抑留者で、これもすこし綴ったような気がする。
北関東ということで冬の寒さは厳しいのだが、高校の音楽室で冬でも暖房をいっさい使わずに過ごしていた。
高校の芸術科の選択科目は書道、音楽、美術とあって、音楽がもっとも容易であるから、大部分は音楽を希望していた。わたしは初年次は書道をあてられたが、つぎは音楽だった。
いくら寒さには馴れっこになっていたとはいえ、この音楽の教師、寒さで左手の薬指かどこかが動かなくなり、ピアノを弾くと音が抜けた。
この本には、シベリアの収容所もたくさんあって、ずいぶん差があったことが記されている。
音楽教師は、シベリアのことを語ることもあった。
収容所のそばに尼僧院があり、そこの畑に野菜などを盗みに出かけていた。
尼僧らに見咎められると、生まれたままの姿になって、尼僧が悲鳴をあげているあいだに逃げてきたとか。
いまだから思うが、それはおそらくおおいに脚色がはいっているにちがいない。
そんなこんなで、昔からシベリア抑留のことが気になっている。
長谷川四郎のこともあるし。
長谷川四郎は晩年、痴呆がすすんだとかどなたかがおっしゃっていた。
この本の著者の父親はわりとふつうの意識だとか。
この本は分厚く、いろいろなことを考えさせる。
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