近未来において書物が意味しているものはなんだろうか、ということから考え始めると、その答えははるか彼方にあるような気がする。
そんなことをあれこれ考えているうちに、話は活劇風にすすんでいく。
本の中は二次元で、それが頭のなかで三次元に再生され、あるいはふたたび異なった形において二次元に戻っていったりする。
本を消滅させようというのは、そのものずばり反知性主義を意味する。
本以外の文明はそのままその効用を発展させられる。
しかし、知性、あるいはその名は、記憶とも呼ばれるのかもしれないが、どんなかたちにおいても、執拗に人間存在に巣食っているものと信じていいものだろうか。
やはり答えはすぐ出てきそうもない。
記憶は、知性は、いかにして継承していくことができるものだろうか。
知性共同体なるものがいかなる時代を通じても脈打っているのだと信じたいひともいる。
それはかならずコンフリクトなり戦いという形をとるにいたるものだろうか。
問いばかりが増えていくようにみえる。
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