mixiユーザー(id:2810648)

2024年03月23日12:16

21 view

読書紹介2384●「阿片戦争 前・後」

●「阿片戦争 前・後」 陳舜臣著 集英社 2000年版 各3800円
 本書には、著者の陳舜臣が働き盛り(40代)の1967年に初刊行された「小説・阿片戦争」と「実録アヘン戦争」が収められている。
 阿片戦争とは、阿片を売る権利を確保するために、19世紀半ばの1840年に英国が中国で起こした戦争である。勝利した英国は、1842年の南京条約(不平等条約)によって、香港の割譲その他を勝ち取った。これによって中国は、中世を抜きで、古代からいきなり近代に入った。阿片戦争は、その近代史の第1ページなのである。
 阿片戦争の主人公は、清国の高級官僚・林則徐である。清国朝廷では、改革派の阿片厳禁論と現状維持で弛禁論の保守派にわかれていたが、道光帝の厳命で厳禁論が推し進められることになった。そこで、欽差大臣(特命全権大臣)に林則徐が選ばれた。
 小説の主人公兼狂言回しは、福建省アモイの豪商・連維材である。維材は妾腹の生まれで、広州の豪商である父が17歳の時に死ぬと、長兄により家を追い出された。それから裸一貫で、現在の地位を築いたのだ。清国に閉塞感を抱いていた維材は、すぐれた官僚の力をかりて新しい時代への道をひらこうと、その望みを林則徐に託し支援した。維材は、清国に産業がないから阿片の毒を清国は受けたのだと思っていた。その産業を興すには、壁をこわすほかない。壁をこわして、外へととび出す。そこには海があり、その彼方にひろい世界があると。壁をこわす、すなわち破壊が必要だと。
 林則徐は広州(唯一の海外貿易港がある100万都市)に着任し、阿片前面禁輸を断行。英国商人の保有する阿片を没収・処分を断行したのである。1839年のことである。林則徐はその結果、英国が武力で押し寄せることを予想していた。幕客たちに翻訳されて読んでいた外国の文献からも、西方の巨大な生産力の氾濫が、この国に波及せずにはおかないことを悟っていたのだ。みごとに戦う。林則徐の努力は、その一点に集中されていた。勝つことではなかったのである。
 当時の中国のことである。人口は1757年は約2億人、1830年は約4億人と、70年間で約2倍となった。しかし、農業国である中国の耕地面積の増加は18%にすぎなかった。生産力の拡大を伴わない人口増加は、人民生活を圧迫し、官僚の汚職は常識化し、辺境に反乱があいついだ。この頽廃の時代精神は、阿片の好餌となった。漏銀(阿片輸入で、外国に銀が流出)はますますふえ、物価はあがり、民心はいよいよ不穏となった。このような清国の衰世の最大の理由は、国民の大多数を占める漢族が、満州族の政権の下にあることであった。
 阿片吸飲の風習がまんえんしたこの頃の清国は、一面では漢民族の復興期でもあった。人口の驚異的な増加、各界でめざましい才能が頭角をあらわし、学問も従来の書斎的考証学を脱して、現世的な公羊学派が勃興しつつあった。その代表が、林則徐だったのである。林則徐らの阿片厳禁論者たちは、10年放置すれば国がほろびると。かりに英国が出兵すれば、清国は勝てないとわかっていても、ここではっきり阿片を拒絶する意思を示さねばならなかったのだ。そのために王朝がほろんでも、中国人の意気だけはあらわすべきだった。その意気があってこそ、新しい時代がつくられると。
 1839年、英国議会は阿片戦争による軍費承認を271対262票と、わずか9票差で議決した。それは、英国の主要輸出品の「阿片」の性質がうしろめたかったからである。本書では、そんな英国の議会やロビー活動の様子を交えて描写していくこととなる。更に、圧倒的武力で中国の地と人民を蹂躙していく様を、克明に描いていたのでありました。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31