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2023年01月08日13:10

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読書紹介2257●「愚者の階梯」

●「愚者の階梯」 松井今朝子著 集英社 22年版 1900円
 本書の主人公・桜木治郎は、早稲田大学講師で江戸の狂言作家の末裔。祖父や父の代から木挽座(歌舞伎座がモデル)に入り浸りで育った関係から、様々な相談事を表方・裏方の人々から持ちかけられ、それを解決していた。
 本書には、歌舞伎界の「女帝」(大女形)として君臨する名優・沢之丞、天賦の才と美貌で将来を嘱望されているその孫。当代一のプロデューサーで亀鶴興行(松竹がモデル)社長・大瀧。銀幕の二枚目スタア。それに、治郎の妻の妹(築地小劇場の女優だったが、寛右衛門と結婚)とその夫の寛右衛門(木挽座で労働争議を起こし、師匠・沢之丞から破門されて劇団・進歩座(前進座がモデル)を起ち上げた)などが登場して、物語を盛り上げている。
 時代は昭和10年。春には天皇機関説問題で美濃部博士(60)が不敬罪で囚われ、16時間に及ぶ検察の厳しい尋問を受けた。結果は起訴猶予処分となったが、博士は自ら貴族院議員を辞職。この事件に対し、治郎ら大学関係者は博士を擁護するため立ち上がることすらできなかった。そのことで治郎は、自責の念にとらわれるのだ。
 そんな中、満州国皇帝・溥儀が日本を訪れ木挽座で歌舞伎を観劇したのだ。その際『勧進帳』も上演され、大盛況で終えることができた。ところがこの「勧進帳」に対して、国士を名乗る人物からセリフが不敬にあたると亀鶴鋼業が糾弾される。
 このセリフというのは、400年前の能を元にした創作で「聖武天皇が、光明皇后を追慕するため大仏を建立した」という内容。「天子様は左様に女々しい御心であるはずがない」という糾弾なのだ。まつたくの言いがかりだが、事件はここから始まっていくこととなる。
 右翼団体を名乗る連中が、不敬問題を言い立て連日押しかけるように。亀鶴興行の専務・川端がこれに当たっていた。応対に出た川端に対し、脅しと来年予定の亀鶴興行の株式会社化にあたり「その株を分け与えろ」と要求されるが、川端はこれを拒否。やがて川端の縊死体と、木挽座の大道具方棟梁の刺殺体が大道具場で発見。更に、大道具方に紛れ込んでいた共産党員の扼殺体がアパートで発見されていくのだ。
 ということで、築地警察署刑事に無理やり協力を強いられた(木挽座では、刑事を相手にしないので)治郎が、犯人探しをする。と同時に、この時代の映画・演劇界の事情が語られていくのだ。
 亀鶴興行は関西から進出してきた。大正12年の大震災以前から亀鶴キネマ社を興して製作にも乗り出していた。活動写真は無声映画から発声映画へと移行し、芝居と鎬を削るまでの人気興行となった。その際、亀鶴キネマ系の映画館では楽士・活弁士ともども一斉解雇され労働争議もおきていた。
 大震災は、東京の興行師も映画館も小芝居座も消滅させたが、関西に基盤があった亀鶴興行はびくともしなかった。そればかりか、悪辣な手を使って東京の映画館や小芝居座を吸収して回った。その矢面に立ったのが専務の川端で、彼を恨む者も多かったのだ。社長の大瀧は、株式会社化にあたり会社の汚い面を払拭させるためもあって、川端を辞めさせる話もすすめられていたのだ。
 やがて、右翼団体は虚偽団体であったこと、糾弾に押しかけた男たちも実在しないことが明らかになる。誰かが芝居を打ったのだ。不敬問題を知っていたのは内部の人間(と国士)だけだったことから、追及は内部の人間へと・・・、というミステリー仕立ての物語。
 昭和10年の世相と、歌舞伎界、映画界の事情が描かれた面白い小説でありました。
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