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2019年09月28日12:21

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読書紹介1856●「星と輝き花と咲き」 

●「星と輝き花と咲き」 松井今朝子著 講談社 10年版 1500円
 本書は、女義太夫のなかに娘義太夫と称される分野を創設した立役者、初代・竹本綾之助(1875〜1942)の史実に基づく物語。
 綾之助は、大阪の子だくさんの石山家に生まれた。6つの時に、実父の妹・藤田勝の養子となる。子のいないお勝が、兄にねだったのだ。夫を亡くしたお勝にとって、綾之助は藤田家の大切な跡取り娘となった。
 大阪は義太夫の本場だったが、女義太夫は認められていなかった。逆に東京では女義太夫は大人気で、大阪から東京に行って一家をなす女義太夫が明治の初めに現れていた。当時、石山の実家では、年に何度か近所の義太夫の素人天狗が集まって、自慢の声を披露していた。それを綾之助が聞いて、耳で憶えた通りに語り、節回しもほとんど間違えなかった。神童だったのだ。綾之助は、数々の素人の集まりで歌わされ、評判は高まるばかりとなった。綾之助はもちろん、歌うのが大好きであった。
 ある日、大阪が洪水に見舞われて、お勝の家も浸水した。その後、感染症が流行したことから、お勝と綾之助は東京に避難した。そこで、綾之助の素人義太夫が人気となり、とうとうプロに稽古を受け、売り出すこととなる。
 まだ10代の綾之助の女義太夫は大評判となり、書生たち(慶応や早稲田など)からのラブレターが殺到した。その一文に「星と輝き花と咲き」と褒め称えるものがあった、という訳。東京では、綾之助人気に続けとプロの娘たちの義太夫語りが続々と現れ、「娘義太夫」と呼ばれるようになった。
 その第1人者である綾之助が舞台に立つと、会場は立錐の余地もなく客は外にまで溢れた。まさに、日本初のアイドルである。こうして10年が経った。芸能界の酸いも甘いもそれなりに経験するが、「お嬢」と呼ばれて人々に護られて、女義太夫の第1人者である綾之助は、恋もしたこともない苦労知らずな娘であった。
 しかし綾之助もお年頃、慶應の書生と恋に落ち子どもを身籠ってしまう。綾之助は清く引退を決意し、子を産むことに。そして10年経った。3人の子持ちとなって、再び舞台に立つことに。綾之助人気は、少しも衰えることがなかった・・、という物語。
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