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2018年07月30日11:18

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読書紹介1747●「工学部ヒラノ助教授の敗戦 4」

●「工学部ヒラノ助教授の敗戦 4」 今野浩著 青土社 12年版 1500円
 本書の副題は、「日本のソフトウェアはなぜ敗れたか」である。政府系研究所にいたヒラノ青年が、助教授として筑波大に奉職したには理由があった。それは、筑波に建設中の大学では、アメリカの一流大学に準ずるようなソフトウェアの学科(計算機科学)をつくって、国際A級学科をめざしていることを知ったからである。
 これまでの日本の計算機科学は、モノづくりに偏重(ハード)し、ソフトやアプリケーション技術(コトづくり)を軽視してきた。それを筑波大がアメリカ並みにするというので、使命感に燃えて筑波大に赴任したのだ。
 ところが、筑波大はとんでもない大学であった。まず、計算機科学学科の第1号教授となったのが、研究者とは呼べない文部省の天下り官僚で、博士号もなく、計算機科学の論文1つも書いたことがない、学内政治に明け暮れる人が就任したこと。この人事に疑問を呈したヒラノ青年は、その後徹底したイジメに会うことになる。
 次に、筑波大を牛耳っていた副学長(学長より偉く、後に学長に)が、学界における“政治家”で、自民党右派と結びつき、共産主義に反対する人であれば誰でもいいと、勝共連合の「世界平和教授アカデミー」の日本代表だった人物だったこと。この人が文部省と結託して、教授会自治を認めず、学生運動を徹底して弾圧したこと。
 なによりも、国際A級学科の条件は、“優れた研究者”を集めることであったのに、東大・京大の両横綱大学からはみ出してきた“オレが、オレが”教授たちが、自らの権力を拡張せんものと、抗争を続けていたことである。この抗争の結果は、計算機科学学科の人員や予算の配分を“モノづくり”学科に奪われることとなり、国際A級学科となるべく基盤を全て失うこととなった。
 助教授でしかないヒラノ青年は、これに抗する訳であるが、巨大な権力のもとに木端微塵に砕けてしまったのである。ということで本書は、ヒラノ助教授の“敗戦記”が描かれたのでありました。

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