mixiユーザー(id:2810648)

2018年07月07日12:02

164 view

読書紹介1740●「守教 上」 

●「守教 上」 帚木蓬生著 新潮社 17年版 1600円
 戦国時代の1567年、九州の筑後国(福岡県南部)の高橋村の大庄屋の家筋が絶えたからと、本書の最初の主人公・一万田右馬助は領主の大伴宗麟から「大庄屋になれ」と命じられる。一万田家は大友家重臣で、右馬助は20年以上にわたって戦場を駆け巡っていた。今は足に鉄砲傷を負ったため、大友領にいるアルメイダ修道士の事業の手伝いをしていた。
 その右馬助夫婦には子がなかった。アルメイダは元医師で商人だったが、イエズス会に入会し日本に渡って来た。アルメイダは大友領で、私財をなげうって病院・孤児院を建設。その孤児院で育てている捨て子の米助(後の久米蔵・第2の主人公)を養子に薦められ、高橋村に赴くこととなった。
 その時大伴宗麟から、九州一円をイエズス教の王国にすることが夢であること。しかし、自分の夢が消え去った時でも、そなたが統べる村々には「いかに小さくても、デウス・イエズスの王国を築いてくれ」と託されるのであった。
 こうして右馬助夫婦と米助は高橋村に。やがて家を継いだ久米蔵の時代になっていくが、その間のイエズス教の事情が描かれていく。それは、九州のキリスタン大名が仏門と対立し、領主と重臣の間で宗教対立の戦いになったり、キリスタン大名が神社・仏閣を破壊したりと混乱を極めるのだ。
 一方、庶民の間ではキリスタンの教えは分り易い(霊魂の不滅など)と、入信者が続々と増える(領主が薦めている)のだった。とくに宣教師が赴く地では、百人単位で洗礼が施される程だった。高橋村では、右馬助が最初に洗礼を受け、ほぼ100%の農民が入信するのであった。
 本書では、その間の宣教師の動きにも触れている。1579年、日本巡察師・ヴァリニャーノ神父が赴任する。これは、日本をこれまで統括していたカブラル神父が日本の風習に従おうとせず、日本の言葉も習得しようとせず、さらに日本人を修道士や神父にすることにも反対していたため、布教がすすまなくなったことを改める(大友宗麟の助言もあって)ためであった。結局、ヴァリニャーノ神父と対立したカブラル神父は辞任させられ、布教方針は改められるのだ。
 やがて九州は太閤秀吉によって統一させられるが、秀吉は2度にわたって「禁教令」を出す。最初にバテレン追放令が。これが、「日本の内政に干渉してはならない」というヴァリニャーノ神父の命に背いて、日本を統括する神父が秀吉に「ポルトガル軍艦(イエズス会の所有)を譲る」と約束し、それを反故にしたことに秀吉が怒って出されたのだ。
 やがて秀吉も死に、つかの間、キリスタンたちにとって安堵の時代が続くのだが、ここに家康が台頭してくる。そんな時代の変転のなかでキリスト教を守って生きる百姓たちの(久米蔵たち一家)の姿が描かれていたのでありました。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年07月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031