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2018年07月02日11:02

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読書紹介1738●「双調 平家物語11」

●「双調 平家物語11」 橋本治著 中央公論新社 03年版 2200円
 前に1巻から読み始めたが、唐の玄宗皇帝から解き明かして、日本の大化の改新で藤原氏が台頭していくことが描かれていて、平家のことが始まらないのだ。そこで、途中を飛ばして平家が出てくる8巻から読み始めた。11巻でようやく、平家が台頭する話になった。
 平家の台頭、つまり武家の台頭は「保元の乱」(1156)で始まった。この乱は、皇位継承問題と摂関家の内紛(親と嫡男)により、朝廷が後白河天皇と崇徳上皇に分裂し、双方が源氏と平氏(双方の親と子、叔父と甥が呼ばれるままに敵・味方に別れた)を呼び寄せ、武力衝突に至った政変である。
 これにより、平安朝で300年間実施されなかった「死罪」が復活。公家ならざる、敗れた崇徳上皇方の武士たちは、同族によって首を打たれた(公家は流罪)のだ。武力による問題解決の手法が、この時から横行する結果となった。つまり、武士たちの時代の門が開いたのだ。それは又、王朝が滅亡の時を迎えたことでもあった。
 4年後、上皇となった後白河院の近臣らの対立により、「平治の乱」(1160)が勃発。ここでも源氏・平氏が呼び寄せられるが、慎重に行動した平清盛は、源氏を破り(清和源氏の頭領で源頼朝の父の首を獲る)乱勝利の最大の貢献者となる。同年、清盛は位階を昇りつめ、武士で初めて正三位の公卿の地位に就く。
 11巻では、「人と狗」のことが描かれる。この時代、人とは公家のことであり、武士は人の忠実な狗であった。根性まで狗であった清盛は、都一番の武力ゆえに上皇や摂関家に頼られた。位階の昇進は、彼らの武力に対する期待と怖れの表れだったのだ。清盛はただ、公家の一員となり武家として蔑まれることの無いよう望んでいただけであった。
 摂関家と親交を結んだ清盛は、摂関家に媚て幼児である娘を摂関家の嫡男の嫁に出した。政略結婚である。ところがその結果、はからずも摂関家の財産を1人占めしてしまう事態(摂関家の長となった嫡男が死亡)となる。ここに、清盛は狗から人へと脱皮する機会が到来することとなったのである。

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