mixiユーザー(id:15969052)

2015年08月14日06:48

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彼岸の真相

明け方変な夢を見ました。自分の思念だけが体を離れてあっちこっちに出かける夢。夕べ、ニコニコ動画の実況でサクラ大戦のゲーム実況なんか見た影響かなあせあせ
中学生くらいの頃かな、人間の思考(思念)というのは脳を流れる電気信号なのだと知った時に妙なことを考えました。人が死んでもある一定時間(個人差はありそうだけど)、脳の中をその電気信号は流れ続けているんじゃないのかなと。で、それを第三者が観測することができれば死を自覚した人間が何を考えているかわかるんじゃないのかなと。
客観的にその信号の中身をキャッチすることができればそこに映る映像こそ彼岸の姿かもしれません。だとすれば臨死体験をして帰って来た人の証言が宗教によって異なることの説明になります。キリスト教徒ならキリスト教的な、仏教徒なら仏教徒的な彼岸を観るであろうことは想像に難くありません。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが川の向こうに立っていて「まだ、来ちゃダメだよ」と言っていたという話もよく聞きますが本人しか面識のない特定の人物がいたというのが不思議がられますが、このカラクリなら不思議でも何でもありません。彼岸とは本人の残存思念が見せるもの──つまり夢と同じものですから。
たまに肉体が滅びても思念が残って空気中を彷徨うようなケースがあったとしたらどうでしょう? その人に近しい人はその思念と共鳴して幻影を見るかもしれません(って、SFチックな発想だな)。それこそが幽霊の正体、俗にいう夢枕に立つという現象なのではないでしょうか。その思念がもっともっと強いと誰彼かまわず共鳴してしまうのかも。なので、思念が漂っている場所で多くの人が目撃証言をして「地縛霊だ〜」という流れになっているのかも。おおっexclamation ×2
幽霊の目撃譚が夜に集中していることを考えると思念と共鳴し易い条件というのが見えてきます。気温が低いこと、明度が下がって辺りが暗いこと、冥途なだけに…………失礼しましたがく〜(落胆した顔)

死後の世界に思いを馳せた中学生の頃、すでにバリバリの理系だった僕は「ロマンチックな発想だな」と考えました。僕は一般的な意味でいう死後の世界も輪廻も信じてはいません。人間は死んだらそれで終わりだと思っています。だからこそ、生きてるうちに精いっぱい生きねばと思っています。さまざまな宗教が示す死後の世界観はあくまでも残された人を慰めるために考案されたシステムだと考えています。
でも、肉体が滅びた後、人の思念(想い)が残って、残された人々に幽霊譚という形であれ、ひと時の夢を見せてくれるとしたら、それはひどくロマンチックなでもとても素敵な現象だと思うのです。理系人間にしては感傷的過ぎるのですが、誰にも等しく訪れる死という理不尽な出来事に対してそれは一片の希望の光にならないでしょうか?

昨日は旧暦の盆の入り(迎え火)、普段はあまり考えないそんな懐かしい考察を奇妙な夢が思い出させてくれました。ご先祖様の思念が枕元で踊っていたのかな?
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