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2016年09月03日09:54

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読書紹介1571・「散華ーー紫式部の生涯 下」 

●「散華ーー紫式部の生涯 下」 杉本苑子著 中央公論社 79年版
 杉本苑子全集17。下巻では、小市(紫式部)が父を置いて都に帰り、10年以上も小市を追い続けてくれた宣考(46歳)と結婚したこと。小市29歳であった。その頃都では、小市より少し年上の清少納言が「枕草子」を出し、幼馴染で年下の和泉式部が歌人として名を成し始めていた。小市は、「物語を書こう」との想いに駆られていくのである。
 小市はその後、女の子を産む。そんな中、宣考が49歳で疫病で亡くなってしまうのだった。たった3年間の結婚生活であった。ここから、「源氏物語」が書き始められることとなる。
 源氏物語は書かれるそばから写されていき、一気に宮中で話題となる。やがて小市は、藤原道長(摂関家)に呼ばれ、道長の娘・彰子中宮(一条帝の正妻)の女房として召抱えられることに。彰子の家庭教師を兼ねながら源氏物語の続きを書け、ということであったのだ。
 紆余曲折があり、1度は宮中を退いた小市ではあったが、彰子の度重なる要請に抗しきれず、再び宮中にあがった小市。以後、彰子の秘書官役を務めることになる。ここで、小市が彰子の求めに応じて教えたことは、漢籍の知識ばかりではなく、いかに藤原摂関家が他族同族を蹴落とし、たくさんの犠牲者の呻きの上に、こんにちの繁栄を築きあげてきたかの客観的事実であった。
 小市自身が藤原北家の末裔に連なる一族であり、小市のおかげで父も弟も出世(中間官吏のささやかなものであったが)を遂げていたにも関わらず、小市の作家魂は藤原摂関家を批判せずにはおられなかったのである。やがて、彰子の道長への批判的態度に気づいた道長は、その原因を突き止める。道長は、小市に「お役御免」を言い渡したのであった。
 ということで、実家に戻った小市だったが、その後間も無くして病で亡くなることとなったのである。という物語。

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