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2022年12月24日12:40

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読書紹介2254●「旅たち寿(ことほ)ぎ申し候」

●「旅たち寿(ことほ)ぎ申し候」 永井紗弥子著 幻冬舎 12年版 1600円
 本書は、改題して「福を届ける」となっていた。日本橋の紙問屋・永岡屋に、10歳で丁稚奉公にあがった勘七。20歳になって、幼馴染み(寺子屋で一緒)の直次郎の初めての登城を影ながら見守っていた。直次郎は、足軽株を買って武士になったのだ。
 安政7年(1860)のその日、桜田門外の変が起こり大老・井伊は暗殺。供の者だった足軽の直次郎も、主人を護って凶刃に倒れる。勘七は、その時の拳銃の轟音を忘れることができない。
 それから2年後、勘七は請われて永岡屋の養子となる。若旦那である。子のない永岡屋の主人・善五郎は遠縁の叔父で、勘七を我が子のように思っていたのだ。その頃から善五郎は病がちとなり、若旦那の勘七が代わって商いをするようになる。その初仕事が、小諸藩の「藩札」の請け負いであった。
 ところが小諸藩主の死亡に伴う内紛が起こり、「藩札」の仕事はなかったことにされる。永岡屋が被った負債は2千両。談判に向かった勘七に対し、「そんな注文をした覚えはない」と門前払いに。そればかりか、後日、永岡屋に強盗が入り、藩札の版下が強奪される。その際、善五郎が斬られ、それがもとで命を落とすことに。
 ということで、そんな苦境に立たされた勘七は、寺子屋仲間だった紀之介(料亭の若旦那)や札差しの新三郎などに助けられながら成長していく。時は幕末、日本橋の商店主たちとの交流も深まる。寺社や大名家などに頼っていた商いは下降線をたどる。そればかりか、これらの大名家による踏み倒しが相次ぎ、廃業して日本橋を去る商店が増える。
 2千両の借金にあたふたする勘七だったが、その真面目さが見込まれ、横浜に移った嘉右衛門からある提案を受ける。それは、裏の武器商人(欧米から買い付けた銃・弾薬の)となっていた嘉右衛門の日本橋での拠点として、永岡屋を利用させてほしいというもの。
 青くなった勘七に養父の言葉が蘇る。「商人とは、人様に福を届けるのが仕事」というもの。嘉右衛門のすすめを断った勘七だが、日本橋では商店主が次々と去って行く。それを「新たな門出」として祝福しようと、横浜で勧められていた「赤いブランケット」を、「旅立ち寿ぎ申し候」という言葉とともに送ることに。
 すると、このブランケットが評判に。永岡屋はこれを「赤けつと」と名付けて売り出すことに。「赤けつと」は飛ぶように売れ、なんと長年の借金を返済できたのであった。本書では、武士の非道と矜持(主君のために命をかける)が描かれると同時に、恋や友情、商人としての成長ありの物語でありました。
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