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2018年10月10日12:45

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読書紹介1769●「馬・車輪・言語 上」

●「馬・車輪・言語 上」 デイヴィット・W・アンソニー著 筑摩書房 18年版 2900円
 本書の副題は、「文明はどこから誕生したのか」である。そこで最初に、印欧祖語についてふれている。つまり、アーリア人が話したといわれるインド・ヨーロッパ語族のことだ。アーリア人というと、ナチスの「優秀民族」論があり、今日ではこれを否定するためアーリア人説さえ否定されることがある。
 古い文献『リグ・ヴェーダ』(インドの書物)では、ヴェーダ語を話したアーリア人が侵略者として征服をつづけながらインド北西部まで進んだことが描かれている。アーリア人は実在していた。青銅器時代に、イラン、アフガニスタン、インド亜大陸北部に住んでいた部族だ。
 それでは、印欧祖語の原郷はどこか。これは、黒海とカスピ海の北のステップ(今日のウクライナとロシア南部)にあった。そして印欧祖語をみると、牡牛、牝牛、役牛、牡羊、牝羊、子羊、豚、子豚を表す言葉により、この話し手は農耕民であり牧畜民であったことが知れる。
 もともと農業は近東で始まった。それがアナトリア(今日のトルコ)を通って前6200年ころにギリシャへ。そして、前5800~5600年にはヨーロッパ全土に広まった。前5200~5000年頃まで黒海・カスピ海ステップ住民は、木の実、魚、野生動物を狩る狩猟採集民の小集団だった。ギリシャとマケドニアの開拓民(非印欧語族)がドナウ川流域から牛と羊を伴って黒海・カスピ海地域にやって来たのが前5800~5700年頃。
 狩猟採集民が、牛と羊を飼い始めたのは前5200~5000年頃。これは、たちまちステップの大半に広まった。当初、牛や羊は葬送儀礼に重要だった。日常はステップに沢山いた馬肉が中心の生活だったのだ。牛や羊は通貨の役割をし、遠隔地交易、贈り物の交換、生贄の儀礼と大宴会の必要物となった。
 ステップで馬が家畜化されたのは、前4800年以降。それまでは、豊富な野生馬を食用として狩っていただけだった。馬は主として、冬季の食肉供給源となった。前4200~3800年に、気候が寒冷化したことによって、食糧としての馬の利用が増した。馬は寒冷化でも雪の下の草を足先で掘り出し食べることができ(牛や羊はできずに餓死)、都合がいい動物だったのだ。
 この寒冷化によって、ヨーロッパの農耕経済が衰退する。同時に、ステップの牧畜民がドナウ川河口周辺の低湿地と平原に草を求めて押し入ってきた。農耕民は土地を失い、牧畜民に庇護され、労働奉仕と引き換えに保護と報酬をもらった。つまり、農耕民が牧畜経済を採用し、同時に印欧祖語を受け入れていったのだ。
 ステップの牧畜民が集団移動できるようになったのは、馬に騎乗するようになったからである。ステップには前3700年より前から騎乗の証拠が出ているが、実際には前4200年より前から始まった可能性がある。やがて、前4000年以降から季節ごとに高地から低地へと移動する「移動遊牧」の形態が始まる。
 車輪と車軸の原理の発明は前3400~3000年の間で、これはヨーロッパと近東の大半にまで急速に広まっていくのだ。ここで上巻は終わり。

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