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2016年10月03日08:18

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読書紹介1575・「ラ・ミッションーー軍事顧問ブリュネ」

●「ラ・ミッションーー軍事顧問ブリュネ」 佐藤賢一著 文芸春秋 15年版 1850円
 本書は、幕末に徳川幕府に雇われたフランス軍事顧問団の副団長・ブリュネ砲兵科教授の物語。つまり、フランス人から見た明治維新の裏話である。
 明治維新は、鳥羽伏見の戦いで決着がついてしまった。それは、徳川慶喜が敗戦のショックで大阪城から軍艦に乗って江戸に逃げ帰ったからである。まだまだ戦う力もあり、勝てる力さえあったにもかかわらずである。大阪城に18万両の軍資金を置いたまま、身1つで逃げたのだ。
 江戸に帰ってからは、ながながと大評定が繰り広げられたが、慶喜は何1つ行動をおこそうとしなかった。その間にも、薩長軍は江戸に迫ってきたのだ。この大評定の最中、フランス軍事顧問団は突然に解雇されたのだ。
 フランスが費やした資金、時間、努力の数々は全て頓挫した。駐日フランス公使ロッシュも更迭されることに。薩長軍の背後には、英国がついていた。英国は武器弾薬はもちろん、軍事顧問団どころか英国海軍の陸戦隊も薩長軍の中に紛れ込ませていた。英国のねらいは、日本を英国の属国にすることにあった。
 その英国が恐れたのは、慶喜が江戸に戻り本格的に反攻してきたら、現状では薩長軍では歯がたたないということであった。とくに幕府軍艦・開陽丸の存在は、日本の制海権を完全に握っていた。さらに、米国から買い付けが決まっているジャクソン号が到着したら、もうお手上げである。
 そこで英国は、「局外中立の誓約」をフランス・ロシア・アメリカ・オランダ等の各国と結ばせたのであった。これにより、各諸外国は武器弾薬はもちろん、軍事顧問団の派遣も許されなくなった。内乱状態こそ、薩長政府(ミカド政府)の弱味だったからである。
 フランス軍事顧問団は、その仕事として幕府内に全てフランス仕込みの「伝習隊」という800名の新式軍隊を1から作り上げてきた。鉄砲から大砲まで、全てフランス製である。幕府が降伏し江戸城を明け渡す時、伝習隊は幕府の命令で江戸から遠ざけられてしまっていた。しかい隊員のほとんどが、旧幕府軍として東北の諸侯と共にミカド政府と戦う決意をし、ブリュネにその参加を熱望したのだった。
 こうして、教え子達の熱意に答えて、ブリュネはフランス軍籍を辞退し旧幕府軍に加わる決意をするのだが。ブリュネが実際に戦闘を指揮することができたのは、五稜郭での戦いの時であった・・・。という物語。
 本書を読んで、幕末から明治にかけての戦いを外国人の目で見てみると、日本人の常識とはまるで違ったものであることがわかった。教え子の意気に感じて1人旧幕府軍に参加するブリュネ。そのブチュネを慕って、フランス軍を離脱して北海道までやって来るフランスの若者達。その行動に対する、フランス本国(皇帝ナポレオン)の反応など、ビックリすることばかりが書かれた本でした。


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