●「カエサル! 下」マックス・ガロ著 扶桑社 06年版 838円
カエサルのガリア征服行は5年の歳月を要した。なかでも1番の難敵は、カエサルのガリア入りでいち早く帰順した部族長の息子で、ローマ軍の1兵士としてローマの戦法を学びとったウェルキンゲトリクスであった。
ウェルキンゲトリクスは、ガリアの諸部族をまとめ反ローマ軍を組織して幾度となく頑強にカエサルに挑んできた。こうして、800の町を征服し、12万人以上のガリア人を殺し、100万人超の人間を奴隷にしたのがカエサルの軍団であった。このことにより、カエサルは凱旋将軍となり莫大な富を手に入れたのである。
しかしローマでは、三頭政治の1人・富豪のクラックスが小アジアに遠征中(属州総督として)に敵に捕らえられ死に、ポンペイウスとの三頭政治が崩れたことから、ポンペイウスが元老院と結び付きカエサル追い落としに走っていた。
カエサルの全役職を解き、カエサルがローマに帰ったら「反逆罪」で捕える用意をしていたのだ。ここに、「賽は投げられた」のだ。ローマ法で禁じられていた、軍団を率いてのルビコン川を超えてのローマ入りを、カエサルが決断。内乱の勃発である。
ポンペイウスはいち早くローマを去り、小アジア、現スペイン、アフリカなど、ガリア以外で反カエサル軍を結集。カエサル軍の中からもポンペイウスに寝返る軍団も出、内乱は一気にローマ世界全土に広がったのだ。
しかしカエサルは、内乱に対してはガリア戦(殺し尽くし、焼き尽くす)とは違い寛容な態度で臨む。「はむかった者も、改心すれば許す」態度に徹するのだ。この方針が功を呈し(ポンペイウス軍は、カエサル軍を皆殺しにした)、カエサルはローマ世界全土を復興する。その際、エジプトもクレオパトラと共に手に入れ、ローマ世界をかってないほどに拡大したのだ。
しかし、寛容によって許された者(その中には、カエサルの実子で養子となったブルータスも)たちによって、元老院議事堂前で暗殺されてしまう。こうして、世界史を書き換えた男カエサルの50余年の生涯が閉じられたのでありました。
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