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2022年10月08日12:37

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読書紹介2233●「元禄御畳奉行の日記ーー尾張藩士の見た浮世」 

●「元禄御畳奉行の日記ーー尾張藩士の見た浮世」 神坂次郎著 中公文庫 84年版 480円
 本書は、「元禄サラリーマン行状記」としてドラマ化された。本書では、朝日文左衛門という100石取りの武士が、18歳から26年間の8863日間書き続けた日記を種本とした小説である。
 元禄という時代は、日本史のどの時代よりも町人のいきいきした時代であった。関ケ原からすでに100年。武士は禄をもらって寝て暮らすだけの遊民になってしまい、都市が栄、町人たちが大きく成長し、刀よりも金銀のちからがものをいう時代であった。
 文左衛門は18歳で初めて仕事に就く。勤務は、御本丸御番という城の警備係長である。3人1組で1カ月に3度、9日に1度だけの宿直仕事である。この仕事には下働きの者がいて、係長クラスの3人はそれぞれ弁当箱に酒やご馳走を詰め込み、勤務中に酒を飲んで宴会をしているのだ。それで良しとされていた。
 これでは、宿直をしているのか遊山に出向いているのかわかったものではない。そんな状態だから、酒がからむ事件が城内では多数発生している。しかし、「勤務中に酒を飲むな」との注意は一切されないのであった。
 元禄の武士たちはじつに酒を飲んでいる。泰平の世の鬱情がそれを求めさせたのであろう。文左衛門も友人と遊山に出かけては一献、道場の帰りにも一献と、朝、昼、夜と酒杯を手にしている。そして当然ながら、酒狂の藩士や足軽たちの刃傷や喧嘩や、大酒が昂じて酒毒(肝障害)で死亡する者が続出するのだ。文左衛門が45歳で亡くなった原因も酒毒であった。
 文左衛門という男は、底抜けに陽気な、野次馬の権化のような侍であった。もっとも好きなものが、武士には禁じられていた芝居見物(文楽など)であった。だから変装して芝居見学に行っている。また釣りや博打(碁、将棋、カルタなど)に熱中したり、文学の会に入って詩文を愛した。
 武芸は剣、槍、弓、馬、鉄砲、軍学と道場に通い稽古をするが、すぐ熱が冷めてしまう。また当時は様々なものが流行した。博打はもちろん自殺、近松門左衛門の曽根崎心中の影響で元禄16年からの1年半で、京・大坂だけで900余人もの心中事件が起こった。野次馬根性の塊である文左衛門は、その死体をわくわくしながら見学に行っているのである。
 文左衛門は2人の妻を迎えている。最初の妻は、そのあまりのヒステリーに離縁をした。ところが2人目の妻は前妻に劣らぬヒステリー妻で、文左衛門は帰宅恐怖症に陥ってしまうのだ。そんな文左衛門の一種、記録魔的な好奇心の旺盛さが、あらゆるものを書き留め、書き散らすこととなった。
 ちなみに、この時代の大事件とされる「忠臣蔵」は、文左衛門の日記に事実だけをさらりと記しているだけであった。文左衛門は、あまり関心がなかったようである。それが当時の庶民の感覚であった。忠臣蔵の熱狂は、後世になって歌舞伎などで作られたものである、ということでありました。

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