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2020年07月26日11:32

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読書紹介1944●「山嵐」

●「山嵐」 今野敏著 集英社文庫 03年版 600円
 小説「姿三四郎」のモデル、西郷四郎の物語。明治初年、会津の地から上京してきた四郎は、小兵ながらその天賦の才を講道館の嘉納治五郎に見出された。その時、四郎は17歳。嘉納は9歳上の26歳で、東大の学生でありながら学習院の教授を務め、嘉納塾(英語)をやり、講道館で柔道を教えていたのだ。
 講道館といっても、その頃は四郎を入れて3〜4人で、弟子を募っていた貧乏所帯であった。嘉納は柔術各派の奥技・秘技を研究して、その真髄は拍子にあると見抜いた。その奥技を研究し、惜しげもなく弟子たちに伝えていったのだ。
 ということで、講道館柔道はみるみる力をつけ、警視庁主催の柔術大会で負けを知らなくなる。四郎たちは、「講道館の四天王」として世間に知れ渡るのであった。四郎の得意技は「山嵐」で、これは四郎にしかできない技であった。
 しかし四郎は、やがて講道館柔道に疑問をもつように。嘉納が求めているのは、柔道を通じての人材育成であり教育であったが、四郎が求めているのは武道の探求であり、かねてから夢を馳せていた大陸に渡って雄姿することであった。又、薩長閥に牛耳られている日本の政体にも、会津人として歯軋りするほど悔しい思いが募るのであった。そんな日本を離れ、大陸で活躍することを夢みていたのだ。
 ということで、講道館を出奔。伝手(従弟)を頼って長崎に。やがて、大陸運動家の仲間に入って、朝鮮・中国に渡り見聞を広めるのだ。そんななか、北京で「八極門」の李書文に出会い、肘の当て身を食らい軽々と吹き飛ばされてしまう。ここで、四郎の武道家としての魂が目覚めてしまう。
 晩年、長崎で大陸運動(この頃、孫文支援をはじめる)をしながら、柔道場を設け、その指導もはじめるが、リューマチを患ってしまう。やがて、リューマチに蝕まれて身体が思うように動かなくなって・・・。という物語。
 
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