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2019年03月18日14:58

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読書紹介1805●「襲来 上」

●「襲来 上」 帚木蓬生著 講談社 18年版 1700円
 蒙古襲来の物語かと思ったら、上巻は日蓮の従者となった見助の、26歳までの物語。見助は、安房国の片海(小湊)の浜辺の小舟に乗って打ち上げられていたところを、漁師の貫爺さんに拾われた。見助の両親と思われる男女は、小舟の傍で息絶えていたのだ。
 漁師となった見助は15歳のとき、この地方の領主である富木氏(本拠地は下総の中山)に日蓮に引き合わされる。日蓮は清澄寺を出て諸国を遊学(京都の比叡山等)し、帰ってきたところであった。富木氏は日蓮に傾倒し、彼の支援者となった。その富木氏の命令で、見助は日蓮の従者として清澄寺に荷物を背負って従うことに。
 清澄寺において日蓮は、新しい日蓮宗を興した。清澄寺を追われた日蓮は、弟子1人と見助を従え鎌倉に向かうこととなった。鎌倉での日蓮は、その後10年間、日蓮宗の布教と幕府に「立正安国論」を提出することに。「立正安国論」には、他国からの侵略が日本を襲う、との預言が書かれていたことと、とくに念仏衆(浄土宗)の害について書かれていた。
 このため、怒った幕府を後ろ盾とした念仏衆150人が日蓮の草庵を襲い、弟子2人が撲殺された。日蓮は見助に助けられ、かろうじて草庵を脱出し中山の富木氏のもとに逃げのびたのだ。
 中山で見助は、やがて日蓮に「日蓮の目と耳の代わりになって、対馬に行ってくれ」と頼まれる。「立正安国論」で日蓮は、他国の来襲を預言した。敵が攻めるとしたら、それは最先に対馬となる。敵の襲来を言明した以上、日蓮にも責任があるというのだ。その敵の動きを、見助に探って欲しいというのである。
 こうして見助は、対馬へと旅立った。見助この時、26歳であった。

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