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2016年04月03日12:27

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読書紹介1519・「蕩尽王、パリをゆくーー薩摩治郎八伝」

●「蕩尽王、パリをゆくーー薩摩治郎八伝」 鹿島茂著 新潮社 11年版 1400円
 バロン薩摩の名だけは知っていた。薩摩とあるから、江戸時代の薩摩藩ゆかりの誰かが、明治になって男爵になった家系かと思ったら、薩摩藩とはまったく関係なかった。治郎八は、東京はお茶の水あたりの山の手に育った商家の3代目で、木綿問屋(当時は商社でもあった)の祖父が巨万の富を儲け、父がそれを継承したものを、全て消費して無一文にしてしまった人物であった。
 19歳でイギリスに留学し、パリに遊んだ。パリでは、日本人留学生や渡仏の画家たちの支援者となった。この時に、パリの著名な音楽家や舞踏家たちと交流。20歳の時には、コナン・ドイルやアラビヤのロレンスとも会い、フランスの外人部隊に入隊(任地で腰に銃弾をあび、6ヶ月で除隊)もしている。その後、イギリスからパリに居を移し、「パリを愛し過ぎ」ることとなる。つまり、たくさんの愛人たちと遊びまわった訳である。
 その後、日本の関東大震災の影響で一時帰国。日本で、日仏交流文化事業に取り組み、大正15年(1926)に山田伯爵の令嬢・千代子(18歳)と結婚させられる。治郎八24歳であった。
 結婚してすぐに、パリ国際大学都市日本館建設(通称・薩摩館。資金の全てを薩摩家がもった。今の金額で20億円の予算が40億にふくれあがった)のため、夫婦で渡仏。ここで、薩摩家の財産を使い尽くしてしまう豪遊が本格的に始まった・・・、という人物。
 フランスがドイツに占領された時の、フランス人救出のための治郎八の活躍や、戦後にフランスの検察の取り調べを受けた(日本人だったから)時のこととか、治郎八が平和を愛し、フランスを愛して007まがいの活躍をしたことまでが、本書では描かれていたのだ。なんとも、面白くてとんでもない人物でありました。

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