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2015年07月05日09:42

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読書紹介1421・「剣の精神誌ーー無住心剣術の系譜と思想」

●「剣の精神誌ーー無住心剣術の系譜と思想」 甲野善紀著 新曜社 91年版 3399円
 本書は、江戸時代初期に発生した無住心剣術と、その第3代目・真里谷円四郎がテーマである。真里谷円四郎は、千戦して千勝0敗の剣の達人であった。本書は、無住心剣術と円四郎のことを調べるため、数々の人々の支援を受けながら国立文書館や富山県立・高知県立図書館など各種の機関で10年かけて集めた資料をもとにして書かれている。
 無住心剣術は、上泉伊勢守の新陰流の流れである。初代・夕雲は、柳生宗矩と同時代人である。柳生宗矩は将軍家指南役として、戦国の世の野蛮性を武士から取り除くため、武士を読書人にした。柳生新陰流も、それに沿った流儀となったのだ。
 初代・夕雲は当初、長身と3人力を誇っていたが、落馬して左腕を不自由にしたことから、右手だけで「ただ無心に」刀を上げ・下げ斬るという無住心剣術をあみだしたのだ。この流派では、形もなく体捌きも不要とし、刀剣の種類も選ばないというもの。初心者には、学びづらいものであった。同時に専守防衛を主とするもので、自分に向かってくる敵は倒せるが、主君を護衛している時に主君に向かった敵を倒すには、はなはだ不都合な流派でもあった。これは、当時の武士の感性(刀剣を愛でたり、主君を護ったり)からはずれたものでもあった。
 ということで、3代目・円四郎の死と共に無住心剣術は絶えてしまったのだが、この流派の影響は幕末・明治まで続いていくことになった。無住心剣術の極意は、「無為無心の(赤子のような)、まったく何気ない動き」である。この思想は、日本の剣術緒流のほとんどが、その根底に潜在的に持っていた考え方である。無心の境地で剣を揮うことをめざす、という思想があるからこそ、人間の本能が最も強く禁止している人間同士の命のやりとりを敢えて行う武士が、社会の表舞台に立ち、独特の文化を創り上げてきた。それが、現在の日本人の思想・志向にまで影響を及ぼしていることを考えれば、武家の存在が、日本独特の思想や文化の形成に大きく作用したといえるのだ。
 本書を読んで、中国(その他の国でも)の武術家は職人としてしか扱われないのに対し、日本ではその武士がもっとも身分が高いとされる社会が3百年も続いたこと。そのため、江戸時代に入って「剣禅一致」といいだし、剣術に思想性や哲学を導入させることとなる。武士の切腹も、「逆縁の出会い」(命のやりとりする相手との出会い)と対(ツイ)にあり、様式まで定めて行われたこと、などがわかった本でした。

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