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2012年10月25日13:45

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時代の中で(60)  自分の心の中に降りてゆくこと

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       「村上春樹、河合隼雄に会いにゆく」1996 のレヴュー

 「河合隼雄対談集 こころの声を聴く」新潮社1995 所収の村上春樹との対談「現代の物語とは何か ねじまき鳥クロニクル」1994 を読んだ。年次の示すように前期の対談よりも古いものであり、短いが、その分分かりやすかった。
 最初の小説「風の歌を聴け」は、ストーリーの順を追ってABCDEと書いて、次にBDCAEとシャッフルして、さらに軽くするためにDEを抜く。すると何か不思議なモーメントがでてくる。しかしこれだと、筋のないフラグメントなので、ストーリーを作って「羊をめぐる冒険」を書いたこと。
 しかし、これは夏目漱石以降の物語とずいぶん違っている。その違いはどこから来るのか。この、村上の問いをめぐって対談が進んでゆく。

 河合は、夢は意識の深いところの体験で、父親が恋人になっていたり、先生が友人になっていたりと、日常レベルでの区別があいまいになってゆくもの、そして、さらに深く降りてゆくと仏教でいうような存在そのものになる。禅で言う瞑想とは意識状態をその方向へ変えるものであり、そうなれば他人の存在とも触れあえるのだとする。
 Aからはじまる物語は日常レベルのもの、これをシャッフルすることで、それでもまとまりのある物語として読めるのは深いところでつながっているからだと言う。
 自然科学とは日常レベルの線をもっとも洗練したもので、写実主義の近代の小説は因果関係で人間を考え過ぎているとのことである。

 その説明を受けて村上は、もう話が終わったようだと冗談を言うが、もう一つのテーマとして夏目漱石の「自我」をとりあげる。漱石は近代的自我と自分の外なる世界との葛藤を綿密に描いて見事だけれども、自分は「虞美人草」のほうが迫ってくると。今、自我と外の世界との葛藤の物語が解消し始めているのでないかとの問いをのべる。

 河合は、自我とはエゴとイド(ego ido)、英語ではIとit のことで、日常的にはエゴで行動しているのだが、深いレベルではイドになる。村上の「羊男」とはイドを現しているが、日常レベルではないのでなかなか会えない、と笑って説明した。

 そして、自分の深い意識に降りてゆくと、他人の意識と出会うことができる。「ねじまき鳥クロニクル」で妻に逃げられた主人公が井戸の底に降りるのは、妻とのこころのつながりを求めたためだと解説する。

 村上は良く分かったが、小説家は分かりすぎると書けなくなる、などという。

 ということで、村上の小説はエゴからイドへ降りてゆくことで妻との心のつながりをとりもどす(ねじまき鳥)、また幼馴染との関係をとりもどす(1Q84)物語だったと納得できた。夫婦の関係、親子の関係も伝統的様式と言うべきものが失われ、それぞれ作っていかなければならないようだ。多分、このような基本的関係が崩れたことは恥ずかしいことではないに違いない。ありふれたことになっているに違いない。隠そうとしているだけなのだ。

 で、これは実は長い前書きで、佐野洋子「シズコさん」新潮社2008 のことを書きたかったのである。佐野洋子は1938-2010 著名な童話作家、エッセイストであるが、この本は老人ホームでボケてゆく母シズコさんをみとりながら、自身の育ってきた家族関係を回想したものである。シズコさんなどと他人行儀なのは、実際、他人同然だったから。
 冒頭で、「四歳位の時、手をつなごうと思って、母さんの手に入れた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった・・・」。以来、母を許していないとのことである。それで思い出したが、下村湖人「次郎物語」で、幼い次郎が汚れた手で父に触れた瞬間、汚い、と叱責された場面であった。次郎の父は貧乏な役人であったが親分肌の人で、次郎もこのことで父を怨むということななかったが、「心がかよわない」状態のあることを肝に銘じたようであった。
 「次郎物語」は漱石的で、「シズコさん」は春樹的なのだろう。

 ホームに入所の時はしっかりしていたシズコさんも、ボケがはじまって、「洋子あんた生きてるの、私とあなたの間には、いることも、いらないこともあったわねェ」と、気を許さなかった娘との関係を見直すことができるようになった。

 著者の兄は秀才だったが北京から引き揚げてきた後、11歳でなくなっている。それまで、この2歳上の兄とは、双子のようにくっついて暮らしていたとのこと、さらに、生まれてから子守をしてきた弟も4歳で死ぬ。著者にはその後に生まれた弟と二人の妹がいるのだが、父が死に母がボケた後では、二人を知るのは自分だけだと悟る。まことに哀切な話であるが、事実関係としてはありふれたことである。大事なのは、それを愛しむ著者の心のありようであろう。

 ある時、母と二人ベッドに寝て「ねんねんよう、おころりよ、母さんいい子だ、ねんねしな」と歌うと、母は笑って「坊やのおもりはどこへ行った?」・・・「あの山越えて、里越えて」と歌ってきて、著者は号泣し「私悪い子だったね、ごめんね」というと、正気に返ったように「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」と答えた。著者は「母さん、呆けてくれてありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」・・・ここで、母への嫌悪感が溶け去って、母と娘が和解できたのである。
 著者は以前対談したことのある河合隼雄に、分厚い手紙を書いてその喜びを伝えたとのことである。

 佐野洋子の母への看護は、同時に意識の底へ下って母の心との通路を探すことだったのであろう。論理だけでコミニュケーションは成り立たない。一番近い、と思っているものとの関係こそ人間が生きてゆく上で一番重要なのだった。

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