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2011年01月31日10:18

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歴史途中下車(4)  国譲り(2) 1回目

 1回目は日本書紀本文に限定して復元してみよう。ニ二ギはどこに上陸したのか。天降ったところではない。ここは高千穂という山とのことだが、確かに支配者は山に登り国見をする慣習があったが、その国見は支配が固まってからのことになるはずである。
 で、次に記されているのは、そししの空国(むなくに)ということになる。古代史学者の古田武彦によればこれは宗像のことだという。確かに、宗像大社はアマテラスの娘の3人姉妹を祭神とし、その長女は大国主の妻の一人となっている。ニニギの伯母にあたる女性であり、祖母アマテラスとも関連の深い土地である。
 解説では、「そししの空国」とは、背中のまわりの肉がないような痩せた土地だとある。しかし、これは背中と胸をかけたしゃれであろう。そししは胸を導きだす、いわば枕詞である。解説は、つまり定説は、大国主から全支配地を譲られたとの説に立つから、自由に住む土地を選べるように考えている。だったら最初から一番よい土地に上陸するはずだろう。
 ニニギは、さらに吾田の長屋の笠狭崎に行き、この地の領主、事勝国勝長狭(ことかつ くにかつ ながさ)に会い、鹿葦津姫(かしつひめ、別名木花之開耶姫)と結婚する。書紀では長狭に国を譲られたように書いているが、これも後のことだろう。まず、大国主に譲られた領地で実力を蓄えるのが先だろう。それに、ニニギの父の称号は正哉吾勝勝速日(まさか あかつ かちはやひ)であって、長狭とよく似ているのだ。当然、大国主からもらった同格の称号であり、その領地を勝手にとれば反逆罪である。
 鹿葦津姫とは誰だろう。宗像を南に行けば博多であり、その入り口のところに香椎宮がある。この関連地名に住んでいた女性なのではないだろうか。
 要するに、ニニギは宗像に着いて、まず隣の博多の領主に挨拶に行き、その推薦で香椎に住む姫と結婚したのであろう。長狭の娘とは書いていないから、やはり、格下に見られていたのである。鹿葦津姫はその後、三人の子を産んで焼け死んだように記されている。ニニギの支配はまだ安定していないのだ。
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