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2011年01月23日07:02

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歴史途中下車(2)  香具山の雪

 古田武彦「古代史の十字路 万葉批判」東洋書林 には、持統天皇の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」を実証的に分析して、これが奈良の香具山ではありえないと結論付けている。というのも、持統天皇のいた藤原の宮から香具山まで1キロで、山は見えるがそこに干してある衣は見えないというのである。実際にシーツを干して実験したのだそうである。御苦労さま。
 しかし、残念ながら持統天皇は正岡子規を知らないから、それほど写生を重んじてはいなかった。
 伊藤博「万葉集訳注1」集英社文庫 でも、「今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香具山に真っ白い衣が干してあるのを見ると。」というように、まことに素直に解釈している。
 夏がやってきたらしい、とは何事であろうか。日本の夏はそんなあいまいに来るものではない。それに、この二人の大先生は歌というものを知らないのでないかと、疑いたくなる。これ一つで言い過ぎだが。
 悪口はそれくらいにして、私の意見は、これからの季節でよくあることなのである。桜が咲いた・・・花の上に雪・・・桜ぶるぶる冬に逆戻り。このような写真と記事が新聞によくのるではないか。
 持統天皇の歌は、香具山が衣を干していると言っているのであって、古田や伊藤の解のように、山のふもとでとか山の木にかけてとか言っているのではない。山が擬人化されている。春なのに雪が降り山が白くなった。散文的には、冬に戻ったというところを、夏に衣を干す習慣をふまえて、もう夏が来たのか、と驚いてみせたのである。遊び心なのだ。
 歌を実証するのは良いが、歌は二重写しにものを見ていることを忘れてはいけない。それが比喩なのだから。
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