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2011年01月09日11:16

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言葉(8)  対句の力

 昔の名句は対句になっていることが多いのでないか。その方が、覚えやすいし。
 ということで、論語巻頭の「学びてこれを習う・・・朋あり遠方より来る・・・人知らずしてうらみず」も対句なのでなかろうか。普通は、習うを復習と解している。学習とは先生から学び、家で復習するというのだろう。今の勉強スタイルだ。
 しかし、孔子の時代にそんなことがあったろうか。教科書、ノート、筆記用具が十分にあった時代ではない。まず、先生の言うことや借してもらったお手本を覚えてしまうことから始まったはず。今でいう、復習も学ぶ中に入っていたに違いない。ここでいう習うとは、実習の習うだ。つまり、孔子の学校は官吏になる勉強なので、ものを覚えるだけでなく実際にできなければ役に立たない。習うという字も、漢和辞典によれば鳥が繰り返し羽を動かして飛ぶ練習をする意味とある。畳の上の水練では仕方がないから。
 次も、近くの仲間は分かってくれなくても、遠方にかえって理解者がいる。だからうらむな、とはいじめ対策として使えそうだ。
 徳川家康が言ったという「百姓は生かさず殺さず」は評判が悪いが、これも対句、それも部分的なものであろう。
 百姓・・・活かさず、殺さず
 武士・・・活かし、殺す
 つまり、武士は才能と努力によって引き立てる。その代わり失敗すれば責任を取らせる。当時は切腹だった。しかし、一般庶民、百姓は引き立てもしないが、責任を取らせることもない。むろん、一揆などを起こさなければだが。
 対句は抜けているところも推定できる。だから覚えやすいのだ。昔の学習に向いているではないか。
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