9月18日付「東岩手火山」では、賢治は農学校の生徒たちを引率して岩手山頂上の火口にいる。時間は朝の3時40分で、後40分で日の出である。賢治は落ち着かず、闇の中を生徒たちの様子を見たり、話しかけたりしながら、火口の縁を歩いている。
この詩の主役は御来光であり、それを待つ期待と緊張がスケッチされているのである。5月の「小岩井農場」のように、現実と幻想の交錯が描かれているわけではない。幻想的イメージは全くないといってよい。
しかも、御来光の出現は描かないのだから、詩としては期待外れの評価がされている。
ここで賢治は、自身を「気圏オペラの役者」といっている。つまり、岩手山上の大気圏で演じられる、御来光オペラの役者なのだ。ただし、この詩は、そのオペラが演じられるのではなく、開幕までの役者たちの緊張した様子が描かれるだけであった。
詩としてはものたりないかもしれない。しかし、賢治は待つことを描きたかったのであろう。心を無にして御来光を待つ。しかしどうしても修羅の影がよぎる。賢治は正直にそれも書き込む。心をよぎったことはすべて書かねばならない。
御来光に願うことがあるはずだが、「小岩井農場」での誓いによって、個人的なことを願うわけにはいかないのだ。
だから、何をしているのか十分には分からないのである。
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