わずか2話の独裁で、道隆が退場しました。
早すぎると思っていても、どんどん生きる力が失われていくのにあせったか、
最後は醜態をさらしてまで権力と「わが家」の将来に執着する姿が描かれました。
きっと、この回のための井浦新だったのでしょう。
道長の「救い小屋」の提案に「そんな金はない」と一蹴する道隆ですが、
前回、定子には金をふんだんに使ったことと表裏に見えます。(これも時事ネタか。)
呼ばれた晴明は一目で寿命と言い切り、いや道隆を見切ります。
本気で呪詛を怖れ、本気で晴明に頼るあたりが道隆の器の小ささです。
意外だったのは、道兼後継へと動く詮子と対抗するように、
定子が「伊周を内覧に」と勧めたことです。
定子も(詮子がそうだったように)自分が力を持たねばならないと気づいたのでしょうか。
あるいは、伊周の内覧就任に定子の影響ありと描きたかったのかもしれません。
そして、道隆も父兼家と同様に、貴子こと儀同三司母の「忘れじの」の歌を思い出し、
内侍所で見染めたころの思い出を語って別れを告げました。
このパターンは、百人一首の当事者が退場する際のお約束になるのでしょうか。
よく気がつく人が「もう一回あるかも」と予感しているので注目です。
一方、予算要求が通らなかった道長に、倫子が「私の財を」と「貸し」を作っておいて、
「悲田院にお出ましになった時」と詰めてくるあたりが巧妙です。
道長の目を泳がせながらの嘘をわかっていてそのまま流したのも、
薄く静かに微笑んでいるだけなのに、もはやホラー感しかない倫子です。
病から回復したまひろのもとに、久しぶりのさわが訪れます。
今、生きていることも不思議という実感は、やはりコロナをくぐった言葉でしょう。
兄弟もなくしたという割に悲しみが少ないのは、
折り合いの悪い兄弟の死がさわにとっては「良い」出来事だったように感じさせます。
続けてさわは、まひろからの文を書写することで追いつきたいと思ったと告白します。
手を動かすという身体的行動からも人はエンパワーできるのかもしれません。
道綱母が授けた悲しみを救うという内面的理由とともに、
まひろにもう一つの書く理由が生まれました。
ということで、今回の秀逸は、
道長が看病したと聞いた瞬間のまひろの驚きの中に隠しきれない喜びでも、
疫病の民を思うなぞアイツの考えることではないという絶大なる道兼の信用でも、
当初はコントめいていたセリフが段々と役にはまりだした実資でも、
さほど穢れを信じてなさそうでも「病の者の穢れをもらった」と祓う晴明の律義さでも、
小右記によれば長徳は「長い毒」だろと本当に公任が言っていたらしいことでも、
姉妹の恋路の代作とはいえ、
赤染衛門の「やすらはで」の歌の当事者も若き日の道隆であったことでも、
たとえ斉信と深い仲になったとしても、
職場でまで自分の女気取りをすることは断固拒否するききょうの強気な人生でも、
むしろ、さっと目で合図して、(今度は)御簾を降ろさせる
なかなかにこなれてきた清少納言としての定子サロンでのキャリアでもなく、
主の為時を背中からつかんで御簾の中に引っ張り込むと、
「偽りでございます」「間違いなく深い仲」と食い下がったいととうらはらな、
経済的な欲得はあったにせよ、まひろの言葉が信じられるか否かよりも、
まひろの意向をなにより尊重することで静かに引き下がる為時の親心。
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