史実的には、為時の除目が変更され、宋人対策もあってか越前守に抜擢されたのと、
伊周と隆家が花山院の従者を殺害したことをきっかけに流罪となったことなのですが、
その周辺の、この物語でのいかにもその人らしい動きを丁寧に描き込むことで、
なんとも豪華で濃密な物語となりました。
まずは為時ですが、10年ぶりの任官であれば淡路は相場でしょう。
この除目に対し為時が奏上した「蒼天在眼」の句に帝が感じ入り、
越前に任地変更になったという逸話があるのですが、
時代考証の倉本一宏は、この句が淡路守を願う申文の一節ではないかとしています。
そこに、一度は越前守に発令された国盛の漢文の才に疑義があるとし、
さらに「蒼天在眼」の句をまひろが勝手に書いたと脚色し、
ついでに、道長が隠し持っていたまひろの文(それで漢文の文を送ったのか!)と見比べて、
まひろの手による申文と確信するというところまで創作してきました。
一方、伊周の件は、院があくまで「私はここに来ておらぬ」と宣言したにもかかわらず、
出世の道が開けたとばかりに斉信がすぐ道長に報告します。
帝は、情けをもってことにあたる帝を尊いとする道長の思いとうらはらに、
定子に対する身内に会うなの命も含め厳しい態度です。
さらに詮子の体調不良からの呪詛発覚、倫子への一任という流れは、
倫子の仕掛け説、詮子の自演説、詮子・倫子共謀説など百花繚乱ですが、
倫子に一任した結果、水面下で何かがおこり、
「伊周の呪詛」が検非違使別当の実資(適役だが史実)にまで報告されました。
(あくまで穏健派の)道長の手引きで内裏に入った定子が、
永遠の別れと背を向けるとたまらず帝が抱きしめるあたりも、
昼間からいたした帝を思えばいかにもです。
事実上の流罪に定子のお願いが効いたかは定かでありませんが、
ほぼ死罪のない時代にあっては重罰でしょう。
オロオロばかりの貴子、イヤイヤばかりの伊周と比べると、
割り切りの良い隆家はオトコマエぶりを上げました。
やはり、本来この役はウカツなのではなく、武骨だったのでしょう。
と思っていたら定子が刃物を取ったのでヒヤヒヤしましたが自主落飾でした。
ホッとしたものの、冷静に考えると大事件です。
というわけで、今回の秀逸は、
10年ぶりの任官を「神仏の加護」と言いつつまひろをチラ見する為時の百も承知でも、
さすが関西人と思わせる「であろう」から「いや、危ない」の宣孝のノリツッコミでも、
父の指摘を半ば認めつつも「されど遠い昔」と言い切るまひろの恋愛上書き保存でも、
当たり前のように「中宮は見限れ」とききょうに命ずる、
いささか調子に乗った斉信の「名前をつけて保存」でも、
おかげで立場があやうくなったききょうに里下がりを命じた定子に逆に感じいって、
ドリフの兵隊コントのような扮装で定子を見守るききょう(まひろ付き)でもなく、
伊周の呪詛の真偽を心配する道長に対し、すべてがお見通しすぎる晴明の、
もはや誰もかなわない立場になったと説き、
伊周の運命も道長の心次第と予言しつつ示唆する、
むしろこれからのことを考えるべきだし、
呪詛を信じる人の心を利用したいなら協力もいとわないという挨拶。
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