前回の直秀の死にしても、今回の一線を越えたまひろと道長にしても、
思い切りが良く大胆に踏み込んでくる脚本です。
しかも、そこへ向けての必要な段取りをきちんと踏んでいるので、
史実から大きく跳躍していることを忘れて、
手玉に取られる心地よさに大きく喝采してしまいます。
最初のカギは、晴明が23日の丑から寅の刻までと日時を限定してきたことです。
「支度が間に合わぬ」と判断した兼家は、思い切った行動に出ます。
失敗する可能性を考え、ふだんは員数外の道綱を呼び寄せて陰謀の一員に加え、
道長をあえて直接加担させず、関白への連絡係に特化させます。
しかし、家族が一つになった謀のはずなのに、
道綱には「見た者があれば、お前が後で始末せよ」と捨て駒2号が宣言されます。
かたや、道長にはしくじった際に発動するプランBが密かに授けられますが、
そういう万に一つがない限り、いつまでもお前はスペアだよとも言い含められます。
そんな父だけでもうんざりしているところに、
心を許していたはずの姉から、倫子も源高明の娘・明子も妻とせよ、と言われては、
前回、自分の影をイヤそうに見ていた道長がますますイヤになる展開です。
(自分の心はまひろにあるのに、まだ倫子とすら結婚していないのに。)
もう一つのカギは、まひろが「高倉の女」の屋敷を訪れると、
父が死の床にある女を献身的に介護していたことです。
大事な人を亡くすのはつらい。
今だけだから大事な人と一緒にいる時間を大切にしたい。
直秀を亡くし、道長への思いが断ち切れないまひろには、父の姿が身に沁みます。
古今集から選ばれた道長がまひろに捧げた歌は、
「恋心が抑えられない」「逢えば元気になるかも」「死んでもいい」と三段活用します。
和歌に漢詩で返答するすれ違いぶりを強調しておいて、
漢詩には漢詩で「志を示す」とともに心を合わせるあたりが巧妙です。
驚かされたのは、六条の廃屋で再会したまひろに、
道長が(知るはずがない)直秀をなぞって「遠くの国へ行こう」と言い出したことです。
まひろは、直秀が貴族の娘だからとあきらめたように、
道長に対して「あなたは遠くの国ではポンコツだから」(意訳)と拒否します。
あわせて、まひろは大きくサイドチェンジして、
「二人で都を出ても世の中は変わらない」
「あなたの使命は違うところにある」と畳みかけます。
どこへ逃げても、道長の影の向きは変わりません。
そして、またも「直秀もそれを望んでいる」と直秀が登場します。
また、まひろの独白の変化も見逃せません。
直秀を思って「生きてることは悲しいことばかり」と言っていたまひろは、
道長と結ばれると/結ばれても「幸せって悲しい」に変わります/と悲しいままです。
道長のことは「死ぬまで見つめ続けます」と決意したにせよ。
というわけで、今回の秀逸は、
「女子女子とばかり」とはどの口が言うのかと問いただしたい花山帝の過去の行状でも、
「どこまでも御供いたしまする」という道兼のジョバンニ感でも、
むしろ「これにて失礼いたします」で消えた道兼のカンパネルラ感(違う)でも、
手配通りに待っていて帝が乗り込むなり出発する牛車のタクシー感でも、
もはや持ちギャグに近づきつつある実資の「筋が通らぬ」でも、
それまでもボディタッチなど使用人らしからぬところがあった乳母いとが見せた
さすがにあからさまな「高倉にくれてやります」の本妻しぐさでもなく、
言われるがままに出家に同意したものの、
義懐に言おうかとか、忯子の文を忘れたとか、別の日にしようとかグスグズ言うし、
案の定、中庭で見回りの女官に見とがめられてしまったことを思うと、
時間のない中、ちゃんとプランBを用意した兼家の見事な謀略センス。
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