チャーリー・ブラウンの仲間たちは皆個性的で強く自己主張する。その代表はルーシーだが、弟のライナスも毛布が手放せないくせに一人前の言葉を吐く。
ピアニストのシュレーダーやのんきなスヌーピーなどなど個性全開である。
しかし自己主張の強い人間ばかりではまとまりがつかないわけで、マイナス思考タイプのチャーリー・ブラウンが少年野球チームの監督兼ピッチャーになっている。
この構図にリアリティがあるのは、実際に気の弱い著者のチャールズ・シュルツが若いころに女性チームの監督だったからに違いない。
母を早く亡くしたシュルツは、マンガ家修行時代に才能を認め励ましてくれた母の妹の叔母を頼りにしていた(つまりマザコンだった)。で、結婚相手は是非とも叔母の娘をと願ったのだが、先の見えない男は嫌だと、長女も次女もサッサと結婚してしまった。それで最後に残った末娘に猛アタックして結婚できたので、生涯頭が上がらなかったらしい。
シュルツはマーロン・ブランド(だったと思うが)のファンで、彼が近くにいた時に、「彼のサインが欲しいんだけどな・・・」と言ったら、妻に「シュルツを知らない人はいない」と肩を押されてとのこと。
戦後の進駐軍の青年たちの印象だろうが、アメリカ人と言えば陽気な青年という印象だが、
桐島洋子「淋しいアメリカ人」1971 は、それは見かけで、アメリカで出会った青年の淋しそうな姿を紹介して、彼は日本に来てスナックやバーで一人吞んでいるのが似合う。日本に来るべきだと書いていた。
つまり、アメリカ社会で生きていくには野心的で楽天的で、人付き合いの良い人間でなければならないわけで、そのための演技に疲れた人もいたのに違いない。
テレビ時代になって、アメリカのホームドラマが人気になっていたらしい。そこに、「奥様は魔女」が参入して一躍大人気になったのだが、アメリカ経験のある英会話の先生が、あの妻の母と夫との関係アメリカの姑と夫との普遍的な関係だと言っていた。日本だと、姑による嫁いびりになるところが、アメリカでは自分の娘ならもっと良い男と結婚できる、さっさと離婚せよというのだそうである。
西部劇のジョン・ウェインのように男はマッチョでなければならないというのが、レディー・ファーストの半面で、「男はつらいよ」となるのだろう。
むしろ日本よりアメリカの方が男はつらいのかもしれない。
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