いつまでもワビさびとか日常の瑣事俳句でもないだろう。
北原白秋 「落葉松」大正14年
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
落葉松は軽井沢に違いない。私自身は職場の旅行で軽井沢のホテルで昼食
職しただけだが。気の利く幹事が予約してくれたのである。
中村草田男「ショパン弾き了へたるままの露万朶」昭和14年
音楽会の後だったのか、梅雨を見てショパンを連想したのか?
三橋鷹女「暖炉灼く夫よタンゴ踊ろうか」 昭和15年
モボ・モガ夫婦に違いない。
富沢赤黄男「蝶堕ちて大音響の結氷期」 昭和16年
ほら吹き男爵風俳句
中村汀女「外にも出よ触るるばかりに春の月」昭和19年
夜空は空襲のためにあるのではない。
橋本多佳子「星空へ店より林檎あふれをり」 昭和24年
元の生活が戻て来た。青森からはリンゴの歌(私は真っ赤なリンゴです)を歌いながらリンゴ列車がやって来る。
星野立子「絵巻物拡げゆく如春の山」 昭和25年
父の虚子が持っていたものなのか?
鷹羽狩行「摩天楼より新緑がパセリほど」 昭和47年1972年
1972年だから、かなり自由に行けるようになったのだろう。俳句の指導に行ったのだと思う。
小田実「何でも見てやろう」1958年、フルブライト留学生
安岡章太郎「アメリカ感情旅行」1962年 ロックフェラー留学生
有馬朗人 「草餅を焼く天平の色に焼く」 昭和47年1972年
日本史への自信
取り戻してきたし。
1973年 円の自由化(1ドル360円時代終わる)
森澄雄「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」昭和52年
1965-70年のイザナギ景気で国民総生産が世界2位になった。
鷲谷七菜子「万緑をしりぞけて滝とどろけり」昭和52年1977年
森田昭夫・石岡慎太郎「ノーと言える日本人」1989年
平井照敏「引鶴の天地を引きてゆきにけり」 昭和54年
飯島晴子「月光の像番にならぬかといふ」昭和55年
アンデルセン「絵のない絵本」である。
金子兜太「梅咲いて庭中に蒼鮫が来ている」 昭和56年
まだ危機感はあったし、今でもコロナ危機とかあるわけで。
後藤比奈夫「東山回して鉾を回しけり」 昭和57年
観光都市京都の一大イベントである。川端康成「古都」も祇園祭で始まった。
角川春樹「あをあをと滝うらがへる野分かな」昭和63年
皆吉司「空港に冬の夜空が降りてきし」平成3年
平井照敏の「引鶴」は日本の天地を持って行ったが、飛行機が冬と共にⅯどってきた。
黒田杏子「能面のくだけて月の港かな」 平成5年
月に空港ができるのもそう遠くない。
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