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2023年12月04日08:18

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フィクションと現実(30) 定住社会日本と移動社会欧米

 テレビのニュース・ショウで、アメリカで、SNSで評判になった表情の変化が面白い少年が子役候補に抜擢されたという報道を見た。コメンターたちはアメリカではトップの即決で決まるが、これが日本ならいろいろハンコを貰って時間がかかると言っていた。

 日本は明治維新で欧化政策に転換して100年たっても、人間関係は元のまま、鎖国の江戸時代のままのようなところがあるのだと思うが、そもそも大文明である中国と接勅するまでの縄文1万年の孤立。それ以前の氷河期時代もあった。
 孤立的だったが、それでも土器の制作は紀元前1万年にさかのぼって世界最古である。
日本海沿岸には北九州から青森まで1日航路で次の港町へ行ける沿岸航路が開かれていた。
 三内丸山遺跡、能登の真脇遺跡、九州の吉野ケ里など古代遺跡も有名だが、基本的には定住社会だったはず。大きな戦いがあったような痕跡もない。
瀬戸内海沿岸の山城は唐新羅連合軍との白村江の敗戦(海ゆかば水ずくかばね・・・)だった。

 それに対して、ユーラシア大陸ではローマ帝国の地中海支配、ゲルマン民族の大移動、中世ではノルマンジー公ウィリアムのイギリス侵略、ドイツ30年戦争、モンゴル軍とのワールスタットの戦いなどがあったが、日本の場合はモンゴルとの間の元寇が2回だけだった。
 一般民衆の戦いと言えば、戦国時代の一向一揆ぐらいでないか。

 ということで、縄文以来の日本は定住社会で、ということは固定的な秩序社会だったわけで、身分は公家はもとより武士も固定的だった。
 私の経験で定住社会だったと思うのは、一時住んだことのある津の奥の田園地帯(津への通勤圏内だった)では、塾の先生が「親たちが長男には勉強させない」とこぼしていたのが印象に残っている。勉強ができると東京の会社に行って帰ってこないというのが心配なのである。

 むろん、立身出世物語もある。大出世は日吉丸秀吉が有名だが一代だった。
 商人の場合は伊勢松坂の三井家が京都に進出し江戸に越後屋を置いて三井財閥となった。維新前後の三井の娘の活躍が朝ドラ「あさが来た」だった。
 明治以後では、立身出世は志士と学生の話。大河ドラマ「青天を衝け」は埼玉県深谷の庄屋の息子だったが商才があり漢学だが教育を受けているし、佐賀の大隈重信は早稲田大学を創設した。


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