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2023年11月25日12:08

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フィクションと現実(27) 俳句における永遠と日常・命

 1.
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」正岡子規
 ・・・日常に永遠が侵入してくる。年越しの鐘の音は期待しているのだが、子規は不意を衝かれた。
「方丈の大庇より春の蝶」高野素十
 ・・・この蝶は永遠からの使いなのだろう。

2.
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」芭蕉
 ・・・山に入って蝉の声が当たり前になって心理的に聞こえなくなったのである。それをはかない命の蝉の声が永遠の磐に吸い込まれると感じた。
「やわらかき蝉生まれきて岩つかむ」西東三鬼

3.
「往く春や鳥啼き魚の目に涙」芭蕉
 ・・・春は短い。人生の春も同じ。今を逃せば奥の細道の旅をする気力は亡くなると芭蕉は決意したのだと思う。

「芋の露連山影を正しうす」飯田蛇笏
 ・・・いわば一瞬の命の一粒の露に永遠の山並みが敬意を表している。
「大仏の冬日は山に移りけり」星野立子
 ・・・虚子の娘らしい写生句であるが、わずかな冬日を大仏が山へ受け渡していると見たのである。

4.
「なつかしの濁世の雨や涅槃像」阿波野青畝
 ・・・涅槃像も生あるものの如く浮世が懐かしいわけで。仏も人間と同じようにみている。
「まひまひの雨後の円光とりもどし」川端茅舎
・・・円光は仏・菩薩の後光のことで、蝸牛に仏を見たのであろう。そう言えば、ピノキオを助ける森の仙女様の使いが蝸牛だった。


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