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2023年11月24日12:04

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フィクションと現実(26) 技術革新から技術普及へ

 マルクス 景気拡大―過剰生産―経済恐慌
 1929年末にアメリカから始まった恐慌が世界恐慌となった。これが資本家を疫病神させたきっかけとなり、日本では2・26事件から軍部独裁へ、ドイツではユダヤ系金融資本家を憎ませるヒトラーの政治手法を有効なものとしてしまった。

 対策としては政府が仕事場と金の使い道を作ればよいわけで、アメリカではフランクリン・ルーズベルトのニュー・ディール政策でテネシー川開発に財政資金を投入した。
ドイツのヒトラー政権は自動車産業(大衆車フォルクスワーゲン、カブト虫)とアウトバーン(高速道路)で景気を回復させた。
 日本では1931年(昭和6年)12月、犬養毅内閣の蔵相高橋是清が金の輸出を禁止して管理通貨制度に移行(戦後は1ドル360円時代が長く続いた)させ、赤字国債による積極財政によるインフレーション政策をとった。

 積極財政の理論的基礎は有効需要を創出して景気を回復できるとするケインズの理論だったが、各国はケインズを応用したわけではなく、偶然の一致だったらしいが、ケインズ理論は今も有効だとのこと。

 一方、世界恐慌の影響を受けなかったソ連の社会主義(計画経済)を理想とする知識人層が増えて、マルクス主義に基づく革命運動も活発になった。良い場面しか(×から)見せなかったからだが、実際は誰も使わない無駄なものを自動的に計画生産していた。
 その動きに対抗して、オーストリア・ハンガリー帝国の経済学者シュンペーターがイノベーション、新製品の創出の重要性を唱えた。
また、ウィーン生まれのピーター・ドラッカーが重要なのは資本家ではなく経営者であり、経営組織であると提唱した。
 ドラッカーは米国のゼネラル・モーターズ(GⅯ)の成功は、富裕層から労働者層まで、それぞれが買える値段で魅力的な車を製造したことにあるとした。
 ゼネラル・モーターズは小さな自動車会社を吸収合併してできた大会社で、その結果、車は多種多様に雑然としたものだった。それを2代目社長が消費階層別に車種を整理したことで、米国人消費者を引き付けた。
 それに対して、自動車産業の創出者はヘンリー・フォードだが、彼はできるだけ安くという方針で大量生産、流れ作業方式で、色は黒、形はT型に決めたことで、アメリカの農村部でも馬車の代わりにフォード時代になったのだが、消費者の飽きられてGⅯに乗り換えられてしまった。

 日本では、コストを安くするためには欠陥品を作らないこととする、西堀栄三郎(京大助教授、初代南極越冬隊長、東芝)の品質管理法(quality control、QⅭ)が採用された。これによって、戦前の「安かろう、悪かろう」の評価が一変し、日本製品は安くて品質が良いというのでアメリカ市場を席巻して、貿易問題は日米間の政治問題になった。
NHK「プロジェクトX〜挑戦者たち」はそれら企業の成功ドラマだった。

 今、世界のトップクラスの自動車はトヨタだが、そのトヨタ式生産システムは部品の欠陥品が組み立てに使われないように、オートメーションのラインの労働者が誰でも、おかしいと思えばラインを止めることができるようになっている。
 米国ではラインを止める権限を持つのは技師なのだが、トヨタでは全員がその権限を持つ。労働者の目を信用しているわけで、日本的品質管理法である。
 映画「back to the future」ではタイム・マシンを作っている天才科学者が、made in japan の部品を見つけ、「これではダメだ」と投げ出すのだが、未来から来た青年が「だから良いのだ」と言い返す場面があった。

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