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2023年11月05日16:25

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フィクションと現実(13) 歌の相似形

 1番目が「大岡信折々のうた」岩波新書から
 2番目が、1番目で連想で思い出した歌や小説。

「やみがくれ岩間を分けて行く水の 声さえ花の香にぞしみける」凡河内躬恒
「足引きの岩間をつたふ苔水の かすかにわれはすみわたるかも」良寛
良寛の歌を詠むと、自分自身も澄んでいくような気がする。

「春 眠 不 覚 暁 処 処 聞 啼 鳥
夜 来 風 雨 声 花 落 知 多 少」孟浩然
「春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり」西行法師

春「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」安西冬衛1929
「蝶墜ちて大音響の結氷期」富沢赤黄雄1941 
カタストロフの予知夢のようだ。

「神田川祭りの中をながれけり」久保田万太郎1925
神田川 作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ
「貴方は もう 忘れたかしら赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横町の風呂屋・・・」1973年

「春風や鼠のなめる隅田川」小林一茶(1763―1828)
童話「たのしい川べ」(原題The Wind in the Willows)ケネス・グレアム1908
冬眠から覚めたもぐらが川の岸に出てきて川ネズミと友達になる。

「私の耳は貝のから 海の響きを懐かしむ」ジャン・コクトー堀口大学訳
「海恋し潮の遠鳴りかぞえては 少女となりし父母の家」与謝野晶子
京都の清水寺近くに住んでいた私は、子供の頃、東山トンネルに出入りする汽車の汽笛を聞きながら眠っていた。

「市中は物のにほひや夏の月 あつしあつしと門々の声」猿蓑の発句・凡兆と脇句・芭蕉
経済学者の東畑精一氏はエッセイで、ドイツ留学から帰ってきた東京は臭かったと。物質しか関心のない人らしい。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風のおとにぞおどろかれぬる」古今・藤原敏行
感覚が目から耳に移動している様子を詠んだ。
「灯を消せば山の匂のしるくして はろけくも吾は来つるものかな」西塔幸子1935年頃
感覚が目から鼻に移動した様子。

青年の歌で、
「山のあなたの空遠く 「幸」(さいわい)住むと人のいふ。
噫、われ人と尋めゆきて 涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く 「幸」住むと人の言ふ」カール・ブッセ上田敏訳
「中年や遠くみのれる夜の桃」西東三鬼
青年と中年男の感覚の違いが鮮明である。

「芋の葉にこぼるる玉のこぼれこぼれ 子芋は白く凝りつつあらむ」長塚節
「芋の露連山影を正しうす」飯田蛇笏 蛇笏は山梨県の人。
長塚節は石下町(合併して常総市)の地主の息子だった。平将門の活躍したところでもある。郷土記念館として「豊田城」が立っている。

「わが心なぐさめかねつ更科や 姨捨山にてる月を見て」古今・よみびとしらず
小説「楢山節考」深沢七郎の元歌のように見える。

「やわらかに人分けゆくや勝角力」高井几薫1741〜1789。蕪村の弟子とのこと。
「勝ラガー泣き負けラガー泣かざりき」何かへの投稿句だが誰の作か忘れた。
「ヨットより降りる漢の水びたし」投稿句だが誰の作か忘れた

「国破れて山河あり 城は春にして草木深し・・・」杜甫 
 玄宗皇帝の栄華も安禄山の乱で亡びた。
 どういう分けか「楊貴妃観音」が江戸時代の天皇家の墓地のある泉涌寺にあった。高校が隣だったのでよく行っていたが、柵を超えて五輪塔の並ぶ天皇家の墓地に入ったところを見つかって叱られてしまった。
 安倍仲麻呂「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」百人一首 は、留学生として唐に渡る時に詠んだのだと思う。大臣となり、朝衡の唐名をもらって李白など歌人とも友人になった。仲麻呂の唐での活躍を描いた小説「翔べ麒麟」辻原登がある。

「マッチ擦るつかのまの海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」寺山修司
太平洋敗戦後の個人主義者の感慨

「しののめのほがらほがらとあけゆけば おのがきぬぎぬなるぞかなしき」古今・詠み人知らず
「人恋ふは悲しきものと平城山(ならやま)に もとほり来つつ堪へがたかりき」北見志保子、大正の頃の歌。この不倫の恋は成就したとのこと。
民謡かと思っていたが、意外にも新しい歌だった。


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