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2019年03月27日10:43

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精神の物語(67) 田中英道「やまとごころとは何か 日本文化の真相」ミネルヴァ書房2010

  1942年生 東北大学名誉教授 美術史家
1枚目 前方後円墳
2枚目 法隆寺 奥が中門
3枚目 6世紀南北朝時代 五胡十六国の一つ鮮卑族(拓跋部系)の北魏が東西に分裂しているが、この後鮮卑族による唐帝国が成立した。

 1.日本の精神はやまとごころとして一貫している
 本居宣長
 「しき島の やまとごころを 人とはば 朝日ににおふ 山ざくら花」
で言う、「やま」は山、特に三輪山のことで、「大和」国の天皇の発祥地。
 次に「と」であるが、場所の「跡」などではなく、「人」、つまり「やまと」は「山人」となる。
 したがって、柳田国男の山人を平地の稲作民と対比されるような、山に逃れた先住民と見るのは誤解であり、「山」に属する人、「常民」である。

 三内丸山遺跡では、集落内に墓地が作られている。彼らは先祖の霊と一緒に暮らしていたのである。「御霊信仰」というべきで、この伝統的信仰に従って日本仏教は人は死ぬと「仏になる」として神道化したのである。
 縄文1万1千年以上の無文字時代を「記・紀」が内包している。

 2.古代の神道と伝来した仏教の関係
 天皇一族や豪族の造営した日本独特の前方後円墳の形の意味については定説がない。
 著者の田中氏は、古墳は上から見るものではないので、横から見える形を問題にすべきという。記紀の最初には、天と地が分かれていない状態から、清く明るい部分が天になり、重く濁った部分が地と説明されている。被葬者の葬られている円の部分は天を、被葬者を祭る方形は地を表していると見るべきであろう。

 古墳時代は6世紀の末ごろに終わる。前方後円墳も作られなくなった。それに代わるように、崇仏派の蘇我氏が実権を握った。そして聖徳太子によって仏教を中心とした国づくりが始まる。聖徳太子の寺を代表するのは法隆寺であろう。
 法隆寺の伽藍配置は、中門を入って左側に釈迦の骨(舎利)を心柱の下に収めた塔があり、右側に礼拝のための金堂がある。この形は、前方後円墳を踏襲していると見るべきで、つまり塔が墓のある円の部分で、金堂が礼拝のための方形部分に当たる。
 聖徳太子は神道を仏教に取り入れたということである。

 3.漢民族の文化は日本文化に受けた影響の一つに過ぎない
 唐(618−907)の文化は中国のものではない。
 聖武天皇のコレクションを主とする奈良の正倉院に保存されている工芸品は、その多くが中国のものではない。目立つのはペルシャのもの。
 そもそも唐の皇帝の出自は漢民族ではなく北西方遊牧民の鮮卑族だった。彼らは沢山の部族に分かれていたが西方の敦煌も勢力圏だった。つまりシルクロードの支配者でもあったわけで、正倉院にペルシャの工芸品(最初に図示した琵琶、ペルシャ特産のガラス器、ペルシャ系ソグドの顔を模した伎楽面)が多いのも納得できる。
 ここで著者が言いたいのは、日本文化の多くは中国文化を元にしていると考えられていることが多いが、その実態は漢民族ではない。実際に奈良・平安時代に大きな影響を受けた唐文化は漢族のものではない。むしろペルシャ人(イラン)というべき。
 651年にササン朝ペルシャが滅亡し、その王族貴族、商人たちが長安に亡命したとのことで、元々胡人だった皇帝の下で彼らの文化が中国で流行したのである。
更に仏教もインドのもので、仏教が中国で盛んだったのは異民族系の王朝時代だったのである。

 平城京や平安京は華厳経にもとづく理想世界として設計された長安を模倣したもので、奈良の大仏の大毘盧遮那仏(大日如来)は華厳経の主役である。なお、ウィキによれば毘 盧遮那仏の起源をゾロアスター教のアフラ・マズダとする説もあるとのこと。

 元々葬式は神道のものだった。それを今に伝えているのは前方後円墳である。日本には仏教と神道があるというが、どちらも「御霊信仰」なのであると、田中氏は言う。
 ここで思い出したが、柳田国男は盆と正月は本来同じ趣旨の行事だったとする。盆は各家庭や一族の先祖の魂が帰ってくるのを歓待する行事。正月にやってくる正月様とはこれも先祖の集合した霊なのである。どちらも竹を立てて迎える(柳田は七夕行事を盆から派生したものとする)。

 そして、神道を一族の民族の「共同宗教」、インド発生時には個人の解脱を説き、日本伝来後は人それぞれの死とかかわって来た仏教は「個人宗教」として役割分担している。
それはユダヤ教が民族の共同宗教であったのに対し、そこから派生したキリスト教が個人の救済を掲げる個人宗教であるのと同じことである。そもそも宗教の起こりは共同宗教であり、日本では個人宗教と融合したり対立したりすることなく、どちらも生かしたということである。

 ☆海風:まとめ
 美術史家の田中英雄氏の日本精神史だと思う。神道と仏教を共同宗教と個人宗教でつないだのが面白いし、その白眉と思ったのが塔と金堂の配置を前方後円墳を模したものと見たことだと思う。
 ゾロアスター教の飛鳥文化への影響については松本清張も小説「火の路」に書いていたが、そもそも唐文化自体にペルシャの影響があるのならそれも当然のことで、もっと古代史学者も本気で研究してもらいたいものだと思う。
 わたしも、奈良のお水取り行事は何なのか不審だった。ウィキには、水は若狭から東大寺二月堂の井戸へ送られてくるとか、松明をもって走り回るとか密教の法会とあった。大仏がゾロアスター教の影響を受けているとなれば、この行事もそうなのかもしれない。


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