mixiユーザー(id:34218852)

2016年09月04日21:12

226 view

時代を越えて(108) 日本型リベラルの主張「安保法制批判」

 前回の読売論点スペシャルでは日本型リベラルの主張ははいっていなかった。そこで、Wedronza 朝日新聞 から中野晃一、五野井郁夫両教授の主張をとりあげて検討したい。

 1.政治・国際 立憲デモクラシー講座・中野晃一上智大学教授(政治学)
 2016年03月29日(1月8日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正)
  [1]グローバルな寡頭支配VS立憲デモクラシー
 ・集団的自衛権、TPP、安倍談話

 [2]グローバル経済下での安全保障
 ・アメリカが日本に求める「イギリスのようになれ」
 
 仮想敵国的にイメージしているのが中国であれば、日本と並ぶ債権国なわけですね。貿易パートナーとしても極めて重要なわけです。そういう中国とのいざこざが、いざ起きたときに、無条件で、日本に味方することがあるわけがないわけですね。
 「イギリスのようになれ」ということで、あっちに行くとなったら「ついて来い」と、こっちへ行くとなったら「ついて来い」と言える国になるっていうことを期待している。
 ☆海風:日本の場合は敗戦国として、いわばアメリカの保護下に置かれているわけであるが、イギリスとアメリカは人種も共通する血盟といってもよい同盟国である。イギリスがアメリカの軍事行動に協力してきたことは確かだが、相互協力であって従属国(白井教授の言う「永続敗戦」)であるわけがないだろう。

 グローバルな寡頭支配については、日本においてもそうなのですが、ある意味それ以上にアメリカにおいて、例えばオキュパイ運動が起きたというのは、それはもちろん偶然ではないわけです。オキュパイ運動とは、2011年の9月から、グローバル資本の総本山、アメリカのウォール街において「1パーセント対99パーセント」(上位1%の富裕層が富を所有している)ということが言われて、そのとき「99%は我々だ」というふうに言って立ち上がって運動を起こした。
 ☆海風:グローバルな寡頭支配対大多数の人民という対立構造の存在を措定しているようである。かっての国際共産主義運動の金融資本対世界の人民の構造を思い出させる。

 [3] 安保法制をどう捉えるか
 ・国民の方を向かず、アメリカの強い部分に追随
 抑止力と軍事力の違い
 抑止力って、軍事力と何が違うのか。「抑止」というのは仮想敵としている国に対してて、「抑止」が働くかどうかなわけなんです。要は「こういうことしたら、こういう目にあうぞ」というのが相手に伝わるのが「抑止」なわけですね。それが伝わらないと意味がない。
 イラクのフセイン元大統領なんかいい例です。彼は、実際にはなかったのに「大量破壊兵器があるぞ」というフリをしていたわけですね。それで抑止ができると思ったわけです。
 ☆海風:フセイン大統領の場合ははったりだった。
 日本にいるアメリカ軍がどの時点で動くのか、尖閣でか、沖縄でか? 中国も判断に迷うだろう。しかし、中国が核兵器を使わない限り、日本独自の防衛ラインを抜けないだろうとの説もある。この防衛ラインの存在自体機密なのだろうが、中国側に漏れているかどうかが問題である。

 それはもちろん戦後最大の安保政策の大転換だと言わざるを得ないことなわけです。しかしながら憲法9条が変わっていないのに、どうして戦後最大の安保政策の大転換ができるのか。これは、どう考えてもおかしいわけですよね。
 ☆海風:裁判に訴えればよいのでは? 憲法を蹂躙したものかどうかはっきりするだろう。もう、訴えているかもしれないが。

 [4] 新しい市民運動のめばえ
 ・国会前に駆けつけた女性、若者、憲法学者たち
 アメリカに従った日韓「合意」
 ところが、韓国も寡頭支配なわけです。韓国政府だって、パク大統領ですよ。グローバルな寡頭支配に一体ですよ。元パク大統領の娘さんですからね。だから世襲議員だ、財閥の支配だっていうのは、もう全部どこでもそうなわけです。それは、金正恩(キムジョンウン)さんの北朝鮮だってそうだし。中国の習近平さんだってそうですよ。体制を問わずそういう状況がいまできてきている。その中で当事者不在、国民不在、民衆不在で勝手に決めていく。
 ☆海風:この論拠は無茶である。選挙で選ばれて議会の掣肘を受けている日本、アメリカ、韓国と、選挙も議会も事実上ない北朝鮮に中国。

 白を黒と言うようなことを政府がやっている。そういう状況によって、思わず声を上げざるを得なくなって、憲法学者の方たちが勇気を振り絞って外に出てきたら、こんなに普通の人たちが立ち上がっている姿を見て、びっくりしているんだと思うんですよね。まさにやっぱりそれは立憲デモクラシーを支えるというのは、普通の人たち以外の何ものでもないわけです。
 ☆海風:安倍政権のもとで立憲デモクラシーが存在していることを認めているようである。

 ある意味、我々が向かっている方向は正直言って、沖縄の人たちだと思うんですよね。
 本土での大きなきっかけは、脱原発の運動だと思うんです。原発事故が起きたことによって、それまで運動、抗議行動ということであれば、少数派が踏みにじられて怒りの声を上げるだけで精一杯だというところが、やっぱりあったと思うんです。
 慰安婦の方たちもそうですけれども、大変な目にあっている、差別にあっている。人権を蹂躙されたということだと、そこから声を上げることができるようになるだけ、それだけで大変なことなわけです。
労働運動にしても何でもそうだと思うんです。しかしながら残念なことに、そういう少数派の運動というのは、怒りをもとにして声を上げるということに価値があるがために、大多数の人たちからとってみると、自分も糾弾されているような気持ちになるわけですね。だから大きく広げるということが非常に難しいわけですよ。
 ☆海風:ここでは、安倍政権反対派として、沖縄、脱原発、慰安婦、労働運動があげられて、「怒りをもとにして声を上げるということに価値があるがために」多数派の同情を得ることが難しいのだと理解されている。
 ここで怒りが元になっていることに「価値がある」とされていることを久しぶりに見たような気がする。ワルシャワ労働歌に「暴虐の雲 光をおおい/敵の嵐は 荒れくるう/
ひるまず進め 我らが友よ/敵の鉄鎖をうち砕け」とあるのだが、失うものは鉄鎖のみという古典的社会主義革命観で4つの反対派がくくれるのだろうか。
 「沖縄」については県民の半分を前後しているわけだが、確かに大きな数である。ただし、強硬反対派が本土からの動員(しばき隊)だったり、あるいは韓国人(朴さん)が座り込みテントの責任者だったりで、成田空港反対闘争が過激派主導だったのを彷彿とさせるところがある。
 「労働運動」は、共産党系が主力でないのか。
 「脱原発」は立憲デモクラシーかどうかとは関係が無いだろう。
 「慰安婦」については、国内政治の対立軸にはなりえない。そもそも、本人と支援団体の主張であって、確かな証拠がない。それは河野談話の検証過程で政府が明らかにしたことで、それを巡って韓国政府と対立したことはなかったのでないか。もしあれば、両政府の合意はできなかっただろう。

 触媒・起爆剤としてのSEALDs
 どういうことかと言うと、「我々は主権者だから声を上げているんだ」と。そして「あなたたちも声を上げましょう」ということを言うわけですね。だからメッセージをどう伝えるか。どうやって広げるか、ということに対して、これまでにないほど関心が移ってきているということ。
 ☆海風:つまり、シールズの学生は反対派の怒りを多数派に受け入れさせるための触媒の役割が期待されていたのである。荷が重すぎて無理でしょう。

 [5] 日本政治はどこへ向かうのか
 ・我々が立ち上がって声を上げ続けることが大事

 問題はこれをどうやって永田町に持っていくのか。議会に持っていくのかというところで、本当は皆さんが一番聞きたいところかもしれないんですけれども、一番話しにくいところなのでここで終わっちゃうんですが(笑)。
 ☆海風:そういう意味では、著者の中野教授は議会政治を認めているわけで、デモ重視ではあるがリベラルの範囲にはいるのではなかろうか。


 2.安保法制と、「#首相官邸を包囲せよ」の意味
 「議会主義の軽視に対抗する試みとして」 2015年05月26日
  五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

 いまは文字どおり制度の形式だけが民主主義で、実質的な機能は翼賛議会の機能に最も近づいた。そう考えると、どうみても今日の日本の議会主義は非常な絶壁に立っているという感を禁ずることができません。(丸山眞男「この事態の政治学的問題点」『朝日ジャーナル』、1960年6月12日号、朝日新聞社)
 ☆海風:60年安保反対運動の時の丸山真男の発言を引用している。ここで、丸山は国会を戦前の翼賛議会になったとして、デモへ行けと煽動しているのである。五野井は現在の議会を丸山と同様にみている。
 
 2015年5月14日夕刻、安倍政権は戦争中の他国軍を後方支援する新たな恒久法案ならびに、集団的自衛権を行使できるようにする武力攻撃事態法改正案など、安全保障法制の関連11法案について、臨時閣議で決定を行った。
 同法案を今国会中に成立させるべきか否かを問うた朝日新聞の世論調査では「必要はない」の60%が、「必要がある」の23%を圧倒的に引き離している。
 ☆海風:時の政権は世論の動向を注視しているはずである。しかし新聞社の世論調査をどの程度の判断材料とみるかは、政権の政治判断になる。

 同法案を推進した政治家たちは生活物資や電力不足等も十把一絡げで「存立危機事態」だという。そのような危機感や想像力を持ち合わせているにもかかわらず、なぜ同法案によって我々が最後の「戦後世代」になる可能性もあるという危機感や想像力を持ち得ていないのだろうか。
 ☆海風:安倍政権は米軍との共同作戦が抑止力になり、攻め込まれる可能性が下がると判断したのであろう。中国軍の公開されている軍事費が急伸しているうえに、実態はもっと多いと疑われるのである。なにしろ、中国には政権のチェック機能がないのである。

 (60年安保)当時の政府与党が議会審議を途中で打ち切った議会軽視の政治運営は、現在の安保法案等をめぐる国民と議会をなおざりにしたままの政府による強引な政治運営と重なって見える。このような議会を軽んじる政治運営ははたして民主主義なのか、という疑問もわいてくるだろう。
 カール・シュミットは『現代議会主義の精神史的地位』(初版は1923年)のなかで、議会主義を必ずしも必要としない民主主義の方途を提示している。それは、議会という代表を媒介せず、政治指導者や政党などによる事実上の独裁を可能にする反議会主義的な民主主義の政治の追認である。
 しかしながらシュミットにしたがえば、国民を議論の蚊帳の外に置いてきぼりにし、議会での法案審議に時間をかけない現政権のように議会主義を軽視しても民主主義は理論的には存在し得るし、また議会主義自体は旧ソ連のように民主主義でなくとも存在しうる。
 ☆海風:前回の仲正「精神論なき保守主義」では、ナチスの理論家とも言われたシュミットが保守思想家の一人として紹介されていた。
 ただその時も、左右両翼から肯定的に評価される危険な魅力と評されていたと思う。直接民主主義を肯定的にとらえている五野井教授の主張は現在の日本の選挙民に認められるのだろうか。なにしろ、直接民主主義と人民裁判(要するにリンチ)とは紙一重なのである。
 
 ・宙吊りの国民と直接民主主義の正当性
 議会主義の軽視が明白となったとき、議会の代表に先立つ国民は再び自らを統治すべく議会制民主主義という媒介を回復させるために、純粋に無媒介な主体として政府与党の前に立ち現れる。
 政府による議会主義の軽視は、他方で議会主義ならびに議会をお飾りとしか考えない党や政治指導者による政治とは別様の、国民が自らを直接的に現前させる無媒介な民主主義の政治の可能性、すなわち直接民主主義にも正当性を拓くのである。
 ☆海風:このような事態は、2.26事件のように、軍隊が(その一部でも)政権から離反しない限りありえないだろう。

 7月24日の金曜日の夜には、安倍政権から民主主義を取り戻すために、学生から社会人まで首相官邸を皆で取り囲む大規模抗議も企画中だという。
 それら一つひとつの呼びかけは、議会という媒介が機能しないことで政治において宙吊りにされている国民が、我々自らに「国民よ、出でよ!」と呼びかける直接民主主義によって、国民一人ひとりの力で議会制民主主義を復活させようとする試みなのである。‬‬‬‬‬
 与党の政治家が我々を戦争へ追いやろうとするならば、我々がそれを止めようではないか。
 ☆海風:国会デモはあったがそれほどのインパクトは感じなかった。60年安保とは二桁は低かったに違いない。
 五野井教授は中野教授に比べて議会政治の重みを感じていないようで、日本型リベラルだとみてよいのではなかろうか。さらに、法政大学の山口二郎教授がいるが、結局、国会包囲の呼びかけ人の層は薄かったと判断せざるを得ない。妙なネーミングを誇示する「しばき隊」や少人数の学生集団に過ぎない「シールズ」を一般大衆を動かす梃子にしようとした、梃子になると信じた、その判断の甘さに失敗の原因があると思われる。
 「レイシストしばき隊」はユニークな集団には違いないが、所詮はマイノリティ、それもノイジー・マイノリティの自警団であって、理念的には政権の本丸である安保法制とは関係が無かった。
 ということで、正統派リベラルや保守派からみれば、日本型リベラルは烏合の衆に見えるのではなかろうか。
 

2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年09月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930