おそらく、三成は正しい。なのに、嫌われます。
むしろ、正しいからこそ嫌われているようなところがあります。
「秀吉の遺骸を甕で塩漬け」というのも、
無謀な海外侵略を円滑に終了させるうえでは必須のことだったのでしょう。
しかし、それは、寧の聞こえるところでするような話ではありません。
やっとの思いで朝鮮から引き揚げた清正らを迎えた宴席であったとしても、
三成には、中座して処理しなければならないほどに、大量の事務が残されていたのでしょう。
しかし、清正は、そんな三成に強い友情を抱くからこそ、今日こそは三成と飲みたかったのです。
三成に言えなかった清正の言葉を代弁しましょうか。
幼少の秀頼を残して秀吉が亡くなり、豊臣政権が不安定なのは、みんな知ってる。
飛びぬけて力を持っている家康が、その最大の危険因子であることも、誰もがわかっている。
だからこそ、小なりとはいえ、秀吉恩顧の者が秀頼のもとで力を合わせるしかないし、
その司令塔ができるのは、頭脳明晰な三成がやるしかないこともわかっているんだ。
今、お前がやるべきことは、皆に豊臣家のためにともに力を尽くしてくれと頭を下げ、、
朝鮮で、さんざん無駄な戦を強いられてきた自分たちをねぎらうことでははないのか。
しかし、三成が言ったのは、
お前は「イクサ馬鹿」じゃない「使えるヤツ」と「俺が認める」から、
ともに豊臣家のために戦え、でした。
それが、精いっぱいの三成のほめ言葉であることも、きっと清正は知っています。
だから、そうじゃないんだと、清正は言いたかったのです。
三谷幸喜は、「新選組!」の時も鬼の副長・山本耕史に、厳しいセリフをどんどん言わせました。
それこそ、「使えるヤツ」と思った役者には平気でハードルの高いセリフを書き、
そのセリフが自然に言えるような役作りができるはず、と深い芝居を要求しました。
それゆえ、こんなに自然な「正しいけれどイヤな」三成像を演じきれたのは山本耕史の力です。
さて、清正が「お前と飲みたいんだよ」とつかみかかったのは、三成への最後の友情でした。
それこそ、こんな三成の対応では、清正が「徳川面」に堕ちるのも理解できます。
直後に、忠勝の器の大きさに、信幸が心を鷲づかみにされたのと好対照と言えましょう。
それはそれとして、この時点でもまだ、家康の本心は天下に向かっていなかったようです。
一人になると、城に向かって手を合わせていましたし、
秀忠を江戸に返したのも、天下のためというよりは徳川家の安泰を目指したものてす。
他家との婚姻ですら、天下のための「多数派工作」なのか、
徳川家排斥を防止するため「防御策」なのかわかりません。
とはいえ、たとえ評定の場とはいえ、正面から遺言違反の婚姻と「正しく」三成に攻められては、
宴席での料理でも明らかな、あるいは、名門・上杉家の当主・景勝ですらひるんだ、
徳川家と石田家の格と力の違いを見せつけるしかありません。
家康の脇に老衆、前に奉行衆と、本当に家康が「扇の要の位置」にいるのもポイントです。
そして、吉継が懸念していたとおり、評定は「家康対三成」の構図になってしまいました。
この大河の吉継は、三成の盟友として、病気も影響して三成の後見役として描かれています。
これまでのような、茶会のエピソードをテコにした
「三成との友情で、一緒に西軍で死んだ人」とは異なる吉継像になっているのも出色です。
などといいつつ、今回の私的な注目は、
三谷の盟友ともいえる小日向文世の退場と入れ替わるようにして登場した、
三谷の懐刀・阿南健治演ずる長曾我部盛親だったのでありました。
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