ナースコールを教えてもらったとたんに立て続けに押したくなるとか、
皆に「秀頼のことを頼む」と言っているのに、信繁にだけ「佐吉を頼む」と言うとか、
これ以上なく手を尽くしたからこそ、無駄だとわかっていても水垢離をしてしまう三成とか、
遺言書をめぐるあれこれとか、細かい見どころの多い計算された脚本です。
計算された脚本とえば、この期に及んでも三谷は悪役を作ろうとしないようです。
家康は、相変わらず「三方ヶ原史観」にもとづき臆病かつ慎重で、
天下を狙うような野心など微塵も見せません。
また、三成が秀吉政権の正統性のよすがにしていた「戦国の世に戻さない史観」を、
家康にもあわせて持たせたのもポイントです。
対する三成には、野心の生まれようはずはありません。
しかし、豊臣家のことを思うあまり、家康のことを危険視しすぎて、
「謀反しないことを約束してくれ」と直談判するのは、さすがに芸がなさすぎます。
そこまで言うのなら天下をねらってみようかと、家康に思わせた張本人が三成かもしれません。
淀とて、秀吉を忌避したり、秀頼を秀吉から離そうとするという悪意があるのではなく、
実は、人が死にゆくことを恐れている弱い女性として描きます。
今でも、うっかり心が弱くなった時にしがみつくのは、母がわりの寧の胸です。
むしろ、世の中は、もっと偶然で出来ているというのが三谷の主張です。
秀吉にとって希望の光だった燭台の火を吹き消したのは、たまたま秀秋でした。
家康が信長ゆかりの具足をもちこんだのも、たまたま遺言状を書かせるための方便でした。
混濁した秀吉が具足のことを家康の呪い品であると感じたのも、たまたまです。
そして、出浦による家康暗殺を阻んだのは、たまたま家康宅を訪問していた昌幸でした。
もう手遅れだったでしょうが、秀吉の最後の頼みだった鈴を床に転がしていたのは、
秀吉があれほど頼りにしていた秀頼の粗相であったのかもしれません。
それが、後の歴史と符合するのは、ただの偶然なのであり、
そんな偶然の積み重ねのことを、後の人たちが勝手に必然の物語にしているのだ、と。
というわけで、今週の秀逸は、
実は、三谷も狙っていた「百」と「仙」の対比と、
彼らに昌幸ジイジが施す「表裏比興」の帝王学(パンパースなし)。
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