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2016年06月19日21:23

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時代を越えて(91) 大沼保昭「慰安婦問題とは何だったのか」

 大沼保昭「慰安婦問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪」中公新書2007 を読んだ。著者は1946年生の政治学者。1993年の河野官房長官談話(宮沢内閣)をベースとして、1995年に設立されたアジア女性基金(自社さ政権の村山内閣)の理事として「慰安婦問題」の解決に尽力した。しかし、韓国側と日本側(大沼教授)とは解決すべき問題認識が違いすぎた。生活に困窮する韓国の元「慰安婦」と償いのためのアジア女性基金、という単純な構図を作れなかった。本書はいわば、その戦いの無念の敗戦記である。

 はじめに
 「韓国と日本のNGOは、問題の本質は人間の尊厳の回復であってお金ではないという「正論」をひたすら主張した。この「正論」は主要メディアの巨大な影響力により生活や医者の費用の欲しい(現実の)被害者を沈黙させた。・・・聖化された被害者像が日韓の社会を支配する一方では、一部メディアは何度謝ってもまだ足りないというとして元慰安婦を公娼呼ばわりした。」

 「わたしは意見を異にする方々との意識的な交流と対話を実践してきた。・・・右の秦郁彦や福田和也にも、五十嵐二葉、ハム・ジョンホなどの国家補償派にも執筆を頼み、・・・また、東京大学のゼミには、上野千鶴子、吉見義明、和田春樹、秦郁彦、長谷川三千子などを呼んだ。」

 「二一世紀の政府、メディア、NGOは、相互補完的に公共的役割を果たすように、それぞれ問題解決能力を高めていかなければならない。歴史認識とフェミニズムにかかわる典型的な問題だった慰安婦問題は、これら三者の力と欠陥を露わにするものだった。」

 ☆海風:いつの時だったか、大沼教授がもう慰安婦問題から手を引くと述べている新聞か雑誌の記事があった。確か、左翼の教授も韓国の攻勢には音を挙げたか、とからかわれていたような気がするが、本書を読めば教授の誠実さにはうたれるものがあった。


 第1章 慰安婦問題の衝撃
 「村山首相は、(1994年)内閣官房長官に社会党の五十嵐広三議員を起用した。五十嵐氏は1987年以来、サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会事務局長として、会長の原文兵衛(自民党)参議院議員とともに重要な役割を担ってきた。
 こうして戦後責任(第二次大戦と台湾・朝鮮植民地支配の被害者への償い)にかかわる問題の解決をめざすなかで、政府と与党内には政府と国民がともに参加する補償金のありかたが議論されてきた。」

 ☆海風:「戦後責任」とは一般的な学術用語なのか? ネットで見ても、日本の戦争に対して日本人の論者が言っているだけのようである。サンフランシスコ平和条約での義務しか果たしていない、ということが追及されているような気がする。だとすれば、左翼からの政治用語でしかないのだが。
 それと、「植民地支配の被害者」も、左右共通の一般的議論の対象にはならないだろう。著者は具体的な償い金での元慰安婦の生活困窮問題の解決を目指すのだが、前提の問題領域を広くし過ぎていることで、「中範囲」での解決を難しくしているのでないか。とはいっても、「戦後責任」の大前提をはずせば左翼の結集も成らなかったに違いない。

 「過去の戦争と植民地支配で日本がどれだけ取り返しのつかない行為を犯してしまったかを国民自身が知り、問題に直面しなければ、問題は解決しない。・・・国民自身が戦後責任を自覚的に果たす仕組みを作らなければならない。」

 ☆海風:「戦後責任」の定義が具体的に限定できないのだと思う。本書でも説明していない。したがって「自覚する」ことはもともと無理なのである。「分かる人」には分かる、としか言いようがない。
 「慰安婦」がそうだと言うのかもしれないが、しかし軍の関与や強制性があやふやなのである。

 第2章 アジア女性基金とメディア、NGOの反応
 「新聞やテレビでは、基金は日本政府が自己の責任回避手段としてつくった隠れ蓑という批判的な論調が圧倒的だった。
 1990年代は、フェミニズムが巨大な潮流になった時期だが、主要メディアはフェミニズムの支援団体や学者、NGOが主張する国家補償論をそのまま繰り返していた。
 特に、「The Japan Times」は「性的奴隷基金発足へ」などと、基金への悪意を感じさせるものだった。」
 
 「軍による強制を裏付ける文書などの証拠がないとする批判があったが、文書と並んで口述が証拠価値を持つのは歴史学上も訴訟法上も確立していることであり、被害者の主張を疑うべきでないという主張も被害者(と主張する人)の聖化に他ならず、(詐欺師もいるので)実際的ではない。」

 ☆海風:ウィキによれば、慰安婦の強制連行について、吉田清治氏は1983年に朝日新聞に済州島で自身が軍の命令として若い女性を捕えて慰安婦にしたとする告白を連載した。しかし、済州新聞の(吉田の著書が韓国語に翻訳された)1989年調査によれば、そのような事実はないという結果だった。吉見義明教授が吉田氏に反論するように勧めたが拒絶された。そして、2014年8月に朝日新聞は吉田証言の記事を撤回した、という経過があった。
 また、1993年の河野官房長官談話については、2014年に第二次安部内閣で作成過程が再検証された。それによって、河野談話は韓国側とのすり合わせの上で発表されたことが明らかにされた。つまり、自発的な慰安婦の証言ではなかったし、十数人の聞き取りにすぎなかったとのことである。
 本書は2007年発行だから、すでに吉田証言の曖昧性は明らかになっていた。口述証言に価値があるのは、証言者、場所、聞き取った人、聞き取り手法などがきっちりしていることが前提であろう。民俗学などでもそうだと思う。慰安婦の証言はあいまいであって、ジープやクリスマスなど米軍のことかと疑われる証言もあるとのことである。

 「フィリッピンでは償いを受け取るとする慰安婦が現れて、それが認められた。しかし、韓国と台湾では、有力なNGOが執拗に妨害して受け取らせなかった。」

 「慰安婦制度という女性の尊厳を根底から破壊するような制度の被害者への償いには、到底償いきれないものを償おうとする根源的な限界があり、そのことは常に意識しておかなければならない。」
 ☆海風:今の目から見れば、遊郭や赤線は人道に反する。しかし風俗営業は暴力団が絡まない限り問題ないのであろう。その線引きが難しいところである。つかり、今も昔も強制性が一番の問題。家族のための身売りはある程度止むをえないのだろう。

 「韓国では、有力な支援団体である挺身隊問題対策協議会(挺対協)とキリスト教団体を中心とする多くのNGOは、(アジア女性基金に)強く反発した。
 韓国政府は当初、日本と韓国のあいだの請求権問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みという態度をとっており、村山内閣の道義的責任による償いをそれなりに評価していた。しかし、強硬な世論を背景にしだいに日本政府に厳しい姿勢を示すようになった。」
 ☆海風:女子挺身隊とは、戦争末期の工場への動員であって、慰安婦とは関係がない。梶山季之「族譜」が1978年に韓国で映画化された。私はテレビで見たのだ。いつごろかは忘れたがだいぶ前だった。映画の主題は日本名に姓氏改名問題である。総督府の命令を受けて、若い日本人官吏(主人公)が地方の有力者(両班)のもとへ何度も通って日本名への改名を要請し、とうとう承諾を得るのだがその両班は先祖に申し訳ないと自殺してしまう、というストーリーであった。その過程で、若い女性が挺身隊にとられどこで何をさせられるか分からないとのうわさが流れ、主人公の官吏が両班の娘を挺身隊に行かなくて済むように手配する、というエピソードがあった。
 梶山は戦前に朝鮮に住んでいたとのことだが、挺身隊の意味を知らなかったのだろうか。それとも、映画化(監督も俳優も韓国人)の時に曖昧にされたのだろうか。興味深いのは、姓氏改名が強制でなく説得に拠っていたということである。有力両班が自発的に解明すれば、皆後に続くと期待されていたらしいのである。

 第3章 被害者の視点、被害者の利益
 「人間の尊厳の回復であって、お金の問題ではないのか。
 1991年に金学順さんが名乗り出た時、慰安婦は強制されたわけではない。金で身体を売った売春婦だと暴言を吐いた政治家や論客がいた。
元慰安婦の多くはだまされて慰安所に連れてこられた女性であり、金で身体を売ったと言われることはこれ以上にない屈辱と感じる人が多い。
 ここでは、慰安婦が公娼制度の延長にあったのか、フェミニズムの観点から公娼でなかったということを問題にしているのでなく、韓国では被害者の多くの(屈辱とする)反応だったし、それを強いる政治的・社会的要因があったと指摘しているのである。」

 ☆海風:金学順氏は最初は親に売られたと証言していたはずである。その事例は、朝鮮だけでなく、日本にもたくさんあった。つまり、身売りに強制は必要なかったのである。朝日新聞の植村記者は義母(妻が韓国人)の紹介で金学順の証言テープを入手して記事にしたとのことである。

 「1990年代、豊かになった韓国の指導者は、日本に対して金が欲しいなどと言うべきでないという思いがあった。儒教的発想や華夷主義的発想にもとづく対日道徳的優越感もあって、金は要らない、名誉が問題、という態度が支配的になった。
 さらに、挺対協やキリスト教団体は、物欲を軽視する倫理主義的発想の人が多かった。」
 ☆海風:ここは、日韓文化比較というか文化誤解の重要な部分になる。日本人は、華夷秩序の位置付けで父(中国)、兄(韓国)、弟(日本)となっていて、兄の韓国を植民地にした、ということだけで、日本は何をしようと関係なく罪人なのである。
 オ・ソンファ氏も、日本は植民地問題以前から歴史的に朝鮮から差別され、劣等とされていたとする。

 第5章 償いとは何かー失敗を糧として
 「慰安婦制度は、その当時から見て国際法と日本の国内法に反する制度だった。
 しかし、慰安婦問題も含めて植民地にかかわる1951年のサンフランシスコ平和条約と被害国との二国間協定で解決されていて、日本の法的責任を問うことはできない、という解釈が支配的だった。」
 ☆海風:公娼制度が国際法・国内法に違反していたということはないだろう。強制連行や人身売買は無論違法だが、しかし、前借という法の抜け穴で身売りが行われていたのである。給料は高かったらしく、実家に仕送りして、その上で前借返済の貯金もできたらしい。

 「多くのメディアや支援する知識人は、国連の圧力で日本政府が屈服すると考えていた。しかし、クマラスワミ報告は実証性が乏しく、不正確で学問的水準が低いと言わざるをえない。国連人権委員会でも、「留意する takes note」という形で採択されるにとどまった。
また、マクドッガル報告も同様に実証性のない低水準の研究だった。」

 「ドイツは戦争責任をはたしている(ブラント首相やヴァイツゼッカー大統領による謝罪)のに日本ははたしていない、という議論が広範に受け入れられているが、ドイツが果たしたのは道義的責任であって、法的責任ではない、という事実はほとんど知られていない。」

 ☆海風:この二つの指摘は参考になった。国連も実証性がないと見ていたわけだ。ちゃんと読んでいたのだろう。

 ということで、アメリカのジョークで、中国の歴史はプロパガンダ、韓国のはファンタジーで、日本のはリアリズムとあるが、ジョークではなくそのままでないのか。
 むしろ、韓国のは、プロパガンダとファンタジーのアマルガムと言った方が正解かもしれない。国連も実証性を問題にしているとのことなら、日本も証言の再検証を進めるべきだろう。

 確かに親の借金を返すために身売りしなければならなかった女性はどこの国でも気の毒な身分だった。それに、儒教的倫理観もあるのだろう、水商売と分かると韓国に居られなくなると言う。それで、女たちは日本をめざす。オ・ソンファ「スカートの風」は彼女たちに日本語を教えて身の上話を聞いての、そのドキュメントである。ただし、オ・ソンファさんは、恥を世に知らしめたとして彼女たちに絶縁されたという。


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